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こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

トイレのおかげ (たくさんのふしぎ傑作集)(第141号)

社会 101-200

野糞をしたことがある、という人は案外にいるのではないだろうか?

かくいう私も、山行で何回かしたことがある。人目さえ気にならなければ、最高に気持ちいい行為だ。あたかも、自然と一体になったかのような幸福感がある。都市部のマンション住まい、排便は1日およそ3回という私個人の事情からすると、この記事の伊沢氏のように、毎日野糞というのは難しいかもしれないが、状況が許せば野外でしてもいいと思う。

野外排泄がいくら気持ち良いものだとはいえ、やはり緊急事態という状況でなければ、山であってもトイレを使うべきだと思う。山を荒らしてしまうことにもなるし、前述の記事でもあった「分解されない紙」問題というのが大きい。キジ撃ち・お花摘みに最適の場所というのはだいたい決まっていて(山行の休憩ポイントはだいたい同じだから)、この辺なら大丈夫かなーと思って見れば、そこには白い紙が散らばっているという案配なのだ。

伊沢氏は環境になるべく負荷をかけない形を模索して、野外排便を行っているが、野糞をするというのはやはり気軽に始められることではない。氏は、

「野糞は1箇所につき年に1回限り」という前提で計算すると、1日1回365日ウンコをするとして、必要な面積は1人あたり1アール。日本人全員だと 1.2億アール(120万ヘクタール)です。これは日本の森林面積(2500万ヘクタール)の約20分1。高山帯や天然林など野糞に適さない土地を除外しても、余裕は十分にあります。

とおっしゃるが、都市部で密集して生活する人が多い現在の日本では、とてもできることではない。というよりやってはいけない。もっともやろうとする人はまずいないと思うのだが。

野糞に憧れる気持ちはあれど、それが当たり前だった時代に戻りたいとは思わない。今のような水洗トイレがなぜ普及していったのか、やはり公衆衛生上の問題が大きいと考えられるからだ。排泄物を住居周辺からすぐに除去できるというのは、水系感染症を防ぐ意味でも大きい。過剰な除菌の問題や、学校の便所でできない問題などなど、きれいすぎるトイレの問題はあれど、かつて不衛生のために死んでいった人たちのことを考えれば、おいそれと自然にかえれとも言えないような気がするのだ。

 

それでも私が憧れるのは『トイレのおかげ』にも紹介されている、”食べさせるトイレ”だ。豚小屋の上でうんち、海の上でうんち、それを豚や魚が食べて、その豚や魚を人間が食べる。何て無駄がない仕組みだろうといつも感心するのだが、実際そこで暮らしてみたらまた違った感想を持つのかもしれない。

トイレのおかげ (たくさんのふしぎ傑作集)

トイレのおかげ (たくさんのふしぎ傑作集)

 

冒頭で紹介した、野糞を続けて43年の伊沢正名氏は、きのこ類の写真家ということで、どこかで名前を見たことがあると思ったら『きのこはげんき』の作者であった。子供には小さい頃読んでやったし、秋になると学校の読み聞かせでも使う本だ。きのことうんちは相性が良いので、こういう主義を持つのもうなずける話ではある。