こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

木? それとも草? 竹は竹(第307号)

以前にも書いたこのイベントでは、クラフト体験の時間もある。

が、正直、クラフト体験にはあまり興味が持てないでいた。子供の方も、小刀などを使い慣れていないこともあり、作業を放り出して遊び出してしまうことの方が多い。

しかし「先生」は言う。

昔から人々は竹を利用して生活してきました。竹冠の漢字が当てられている道具(竿、笊など)は、もともとは竹を加工して作られたものです。それらの道具も、今ではプラスティック製品などに取って代わられたため、竹は利用価値を失うことになってしまいました。その結果、竹林の手入れが行き届かなくなり、荒れたまま放置されることになりました。私は何とかして竹を使い続ける方法を考えたい。なので、竹を利用したさまざまな品を考えては作っています。このクラフト活動もその一環なのです。

『木? それとも草? 竹は竹』でも、かつて続いてきた、竹と日本人の長い付き合いについて書かれている。

竹はほとんど花を咲かせないため、新しい品種を作り出せなかったこと。したがって竹は野生のままの植物として、人間に利用されてきたこと。日本人は、野生の竹の性質をそのままに、うまく管理していく方法をあみだしたこと。竹林の手入れを怠らないことで、竹も元気に育ち、利用しやすい状態で管理が続いてきたこと。

付録「ふしぎ新聞」の「作者のことば」も、

この本を読んで竹に興味をもった人が、将来、竹の新しい使い方を考えたり、いろいろな種類の竹の開花周期を明らかにしてくれることを楽しみにしています。

という一文で結ばれていて、まさに「先生」が言ったことそのものであった。

 

竹はほとんど花を咲かせないと書いたが、開花周期という言葉が示すように、十年単位どころか、人間の寿命より長いスパンで花をつける種類もある。そして、驚くべきことに、花を咲かせ種をつけた後、親である竹はすべて枯れてしまうのだ。そういうわけで、竹の花の研究には一人の人間の寿命以上の時間が必要となる。

すべて枯れてしまうというのは、その一帯に生えている竹が全部無くなってしまうことを意味する。2004年、京都の北山という地域で、チュウゴクザサがいっせいに花を咲かせ、その後すべて枯れ果ててしまったことがあるらしい。そこで困ったのが京都の和菓子屋さん。ちまきを包む材料が取れなくなってしまったからだ。

その後のことについて調べてみると、2015年に書かれた記事がここで見つかった。10年も経てば再生も進んでいると思うだろうが、さまざまな要因が重なって、回復が遅れているらしい。それでも地域で協力して地道な保全活動を続けているようだ。

里山のイベントに参加しつつも、里山の管理って必要なの?人手が足りなければ、自然のままに放っておけばいいんじゃないの?と思うこともあったが、暮らしのすぐそばにある里山は、思っている以上の恵みをもたらしてくれていることがわかった。そして、一度荒れてしまった里山を元に戻すには、時間も手間もかかるのだ。