「はてなし世界の入口」として、始めに登場するのがマトリョーシカ。
このマトリョーシカについて何気なく調べてみたら、沼田元氣氏の名前が出てきたのに驚いた。盆栽小僧の松ちゃん(『ぼくは盆栽(第126号)』)はマトリョーシカ(或はこけし)になっていたのだ!
驚くべきことに、オーダーメイドのマトリョーシカやこけしを作って販売するところまである。
さらにさらに驚くべきことに、通販会社の千趣会はもともと“OL向けのこけし販売から事業を開始、社名も「こけし千体趣味蒐集の会」を略したもの”だった。マトリョーシカやこけし、こんなに愛されてるものだったとは!
初っ端からこけしの世界に行ってしまったが、「はてなし世界」にもどる。
目に見える身近なものとしては、合わせ鏡に映し出された世界、
どこまでも、どこまでもつづく鏡のなかの世界、はてなし世界の入口。
がある。
子供の頃、母親の三面鏡付きドレッサーに顔を挟んで遊んだものだった。無限に広がる顔の数々に、どこまで続いているのだろうと気が遠くなるばかり。目を凝らしてみても、その果てはとても見通せそうになかった。合わせ鏡でこれなら、江戸川乱歩の「鏡地獄」はどんな世界なのだろう?
算数の勉強が進めば、兆よりもっと大きな数が気になってくる。もっと大きな数は?それよりもっともっと大きな数は……?無量大数なんて言葉はすぐ覚えたけれど、どのくらい大きな数かなんて想像もできなかった。兆の後、京からも覚えないままだったが、唯一「那由他」だけ『那由他』で覚えたものだ。ちなみにグーグルが始まった当時、ああグーゴルプレックスから取ったのかうまいなーと思ったものだが、スペルミスで"Google"になったとは知らなかった。
本書の最後は、
人間のそうぞうの力にも、はてがない。そしてだんだんと、無限の世界へ人間がはいっていけるようになった。ふしぎな、無限の世界へ。
という言葉で締められている。
人間は有限の存在であるからこそ、無限の世界を夢見るのかもしれない。有限の存在ではあるけれど、私(と夫)がいて、私(と夫)の両親がいて、そして私(と夫)の両親のそのまた両親がいて……と、はてしがないように思われる生命のリレーの果てに、自分たちの子供が存在しているということの不思議。そこに無限の世界の一片を、感じ取ることはできるのだ。