こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

琉球という国があった(第326号)

現在、かつてはお城だったグスクにも按司や王様は住んでいませんが、グスクにある御嶽にはお参りにくる人の姿が絶えません。グスクは過ぎ去った大昔の遺跡なんかではありません。今でも沖縄の人々の生活のなかに心のよりどころとして生きている場所なのです。

琉球という国があった』の5〜6ページには、こう説明が書かれている。首里城の火災に涙ぐむ人々の姿を見た誰もが、まさに「心のよりどころ」という言葉を実感したことだろう。

本書は、おもに「琉球王国」の歴史を描いた絵本だ。
琉球王国は、今の沖縄県と鹿児島県の奄美諸島までふくんだ国だった。島々を主体としているから、有する陸地はそれほど大きなものでない。しかし、作者は海も国の一部として考えると、東京から福岡までの範囲と同じくらいの大きさになると言うのだ。

海は「道」である。
今でこそ、渡航というと航空機をメインに考えがちだが、かつての主人公は船だった。それを考えると、国を、海そして航路を含めたスケールで考えるのは、うなずける話だ。

面白いことに、琉球という呼び名は「中国がかってにつけた名前」だという。もともと沖縄の島に住んでいた人々は自分たちの土地を「おきなわ」と呼んでいた。ところが、沖縄と中国との関係が深くなるにつれ、自らすすんで「琉球」を名乗るようになったらしい。

まあ私たちだって、国自体をジャパンと称さないものの、なでしこジャパンサムライジャパンのように、自国代表の愛称に"JAPAN"を付けることも多いのだから、似たようなものかもしれない。

沖縄の歴史を考えると、

1879年、琉球王国は廃止され、日本の「沖縄県」として新しい道を歩みはじめます。

の、その後……沖縄戦を含む苦難の歴史をも続けて語りたい、日本(薩摩)によって征服され「日本」になった沖縄が、敗戦によって今度はアメリカに占領されて「アメリカ」になり、沖縄返還でふたたび「日本」になる過程も知ってもらいたい。

たくさんのふしぎ」は子供向けの本だけに、そういう気持ちにもなってくるが、本書はあくまで「琉球」の話にとどめられている。作者が語りたいのは、沖縄の歴史そのものではなく、琉球という国の国際性、多文化共生の様だからだ。

首里城の正殿にはかつて「万国津梁の鐘」と呼ばれる鐘が吊るされていた。この鐘には、次のような意味のことばが刻まれているそうだ。

琉球は、南の海の恵まれた場所にあり、朝鮮からは優れたところを取り入れ、中国や日本とも大変親しくつきあっている。この日中両国のあいだにある「蓬萊の島」のような琉球は、船によって世界に橋をかけ、めずらしい宝は国内のいたるところに満ちあふれている。

琉球は万国の津梁、つまり万国の架け橋であるからこそ繁栄しているのだ、と誇る文だ。本書の最後も、万国津梁の鐘の話で締めくくられているが、作者はこの言葉について、こんなことを語っている。

 自分たちの国を誇り、自慢することは、今も昔もよく見られることです。ところが琉球は自慢するところがちがっています。自分たちはいろんな国をつなげて、うまくやっていると自慢しているのです。

かつての首里城の復元事業には、台湾の業者も携わっていたという。その他、遺構の発掘調査や残された資料の研究をした人、作業を行う工芸家や職人など、さまざまな人の手が関わって、首里城は再建されてきた。

ふたたび復元されるにせよ、今回焼失したそのものを造り直すのは、おそらく難しいことだろう。しかし、いろんな国をつなげて、いろんな人をつなげて、経てきた琉球の歴史を考えると、必ずしも「以前のものの完璧な再現」でなくても良いのかもしれない。いろんな文化を取り入れてきた琉球の、今の沖縄の「首里城」の形がきっとあるはずだ。

そんな「新しい首里城」のお目見えする日が来ることを、心より願っている。

アジア諸国との貿易で栄えた、昔々の沖縄の歴史をひもとく『琉球という国があった』|ふくふく本棚|福音館書店公式Webマガジン

琉球という国があった (たくさんのふしぎ傑作集)

琉球という国があった (たくさんのふしぎ傑作集)

  • 作者:上里 隆史
  • 発売日: 2020/02/05
  • メディア: 単行本
月刊 たくさんのふしぎ 2012年 05月号 [雑誌]

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