こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

鬼が出た (たくさんのふしぎ傑作集)(第23号)

子供が4歳くらいの頃。

友人が、これすごいんだよーって見せてくれたのが、

「鬼から電話」

という今では有名になった“子育てサポートアプリ”だった。

ー下の子はもう、お父さんに言うよ!も効かなくなっちゃってさ〜試しに使ってみたら効果覿面よ〜

彼女はケラケラ笑っていた。見てみると……画像も声も聞きしに勝る恐ろしさ。これなら確かに子供は震え上がって言うことを聞くだろう。

家でこれを導入しなかったのは、ひとえに物理的な問題、ガラケーだからということに尽きる。その上子供は鬼を怖がらなかった。むしろ関心がないようだった。

当時の節分イベントの写真を見ると「鬼(割とリアルなタイプ)」が怖がらせようとポーズをとる先には、何ら興味を示さず、別のことに熱中する子供の姿が写っている。「鬼」に易々と肩を抱かれたツーショット写真まである。

そんな子供でも「鬼から電話」は怖がるのではないかと思う。大人の私ですら怖い。ただのアプリとわかっていても、底の知れない恐ろしさがある。

その恐ろしさの元は逆説的だが、アプリの鬼は「人間らしくない」からだと思う。

『鬼が出た』には、

人間ににているからこそ、こわいんだよ。

と書かれているが、逆に人間らしいところがあるからこそ、怖くないともいえる。

鬼はリアルな存在なのだ。節分の鬼も各地のおまつりに登場する鬼も、人間臭い生身感がある。だからこそ子供は泣いてしまうのだろうが、たった一人で怖い思いをするわけではない。同じように怖い思いをして泣いている他の子供たちだっている。そして自分を守ってくれるだろう親や大人たちもその場にいるのだ。

最後の方にはこんなことが書かれている。

お話でも絵でも、おまつりでもあそびでも、鬼の出てくるものを数えだしたらきりがありません。しかし、そのどれをみてもたいていは、鬼をこわがるだけではなくて、鬼をやっつけるものになっていることに気をつけてください。

「鬼から電話」には鬼をやっつける者がいない。鬼=親だからだ。やっつけてくれる、守ってくれるはずの親が鬼であるなんて、鬼子母神だってびっくりの所行である。鬼子母神は我が子を食べることはしなかった。

この鬼たちは、ただつよくてこわい顔をしているだけでなく、このように町や村の人たちと体ごとふれ合って、大むかしからもちづつけてきた生命の息吹きをそそぎかけてくれるのです。 

鬼から電話の「鬼」は、鬼にはなり得ないのだ。