花といえば桜。今年もお花見のシーズンがやってくる。
子供の写真を見返してみたら、呆れるほど毎年のように桜をバックにした写真がある。これほど愛されている花なのに、一度としてじっくり見たことがない。いつもいつも早くお花見行かなきゃ、早くしないと散ってしまう、ああ今週末は雨なのか……みたいな急く気持ちばかりが前に出る。「花を愛でる」ことには、気持ちの焦点が合っていない。
花を愛でるということなら、梅の方がよほどしっかり見られている。梅園をのんびり歩きながら、一つ一つの木をじっくり鑑賞する。肌寒い時期なので歩くほかはないし、ビールの出番もない。
お花見は準備も忙しない。子供と二人でも、家族三人でも、はたまた友人たちとでも。やれ弁当だ、酒だ、ジュースとお菓子も入れなきゃ。シートを忘れないで!遊び道具も準備して……。
お花見会場にたどりつけば、人びとであふれかえって、騒がしいことこの上ない。自分たちもいそいそとシートを敷いて、宴会の準備をして……とその間にも、子供たちは花そっちのけで遊び場に飛び出してゆく。頭上はうるさいばかりにこれでもか、と咲き誇るソメイヨシノ。
桜の中でもソメイヨシノばかりがなぜこれほど愛されるのか。それは春の気持ちのざわめき、宴のさわがしさの背景にぴったりの花だからだと思う。急がなきゃと逸る気持ちの元は、桜の花そのものにあるのかもしれない。
この本の作者にとっての「お花見」とは、染井吉野ではなく、向こう山に咲くヤマザクラを見ることだったという。こういう人でないと、桜そのものをしっかりと「見る」ことはできないのだろう。
わが家の方は今年もまた、せかせかと準備して出かけ、桜を背景に、去年より少し大きくなった子供の写真を撮ることになるはずだ。