こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

野生のチューリップ(第386号)

野生のチューリップ、というと思い出すのがこの曲

運転中かけるとついつい気持ちよく唄ってしまうスピッツだが、よくよく詞を見ると、黒目がちの草野正宗の瞳にも似た、深い闇が見えるから恐ろしい。

「野生のチューリップ」も夜空とか星とかロマンティックな言葉の後に、

“僕の目はどこへ行く 君のにおいがする”

とぶっ込むだけで、急に生々しい感じが入ってくる。におい、というのはふわっと香る女の子のいい匂いではない。さしずめ、昨晩セックスした後、横で眠る女からほのかに立ち上る、寝起きの体臭だ。ちょっと想像し過ぎの感もしないではないが、「野生」という言葉が引き起こす連想だと思う。

歌詞の中には、

“野良猫 サカリの頃の歌声も”

というまんまの言葉もあるが、んなのはどうってことない。遊佐未森に提供した曲はサカリのところを変えたらしいが、ノラネコの発情で思い浮かぶのはある意味健全な風景だ。

 

本号の著者は、本当に“野生のチューリップ探しに”行くわけだが、その場所というのはカザフスタン。そこで見たチューリップは、厳しい自然環境を生き抜いてきた、まさに「野生」の花だった。

乾燥を防ぐため、分厚い外皮に覆われた球根。玉ねぎみたいな薄っぺらい皮の園芸種とは様相を異にする。

グレイギーとよばれる野生のチューリップは、ごつごつした岩の間から咲かせている。毒々しいほどの赤。かさかさに乾いた葉っぱのふちは波うち、表面の緑色は黒い斑点模様に彩られている。

自然のチューリップは、球根ではなく種でふえる。したがって、受粉を促す虫を引き寄せる、美しい花を咲かせなければならない。種から芽生えた後は、一枚のひろい葉を地上に出し、光合成を通じて得た栄養を地下の球根にも送り込む。暑すぎる夏は、葉っぱを枯らして球根だけになり、休眠する。春が近づくと、雪解け水とともに葉を地上に出し、ふたたび光を浴び栄養を取る。そんなことを繰り返し、だんだんと球根を大きくしていき、ついに花を咲かせるようになるまで10年以上の歳月がかかるというのだ。ここには、童謡から連想されるチューリップの風景はない。

♪さいた さいた
チューリップの花が
ならんだ ならんだ
あか しろ きいろ
どの花見ても きれいだな♪

野生のチューリップは、きれいではない。むしろ「美しい」のだ。人の手で植えられて行儀よく並んだチューリップの「きれい」とは違う。それは、人をも拒むような厳しい自然の中で、力強く生き抜いてきたものだけが見せる美しさだ。

道ばたの花壇に咲いているチューリップは、ほのかに春の匂いがした。本書には香りについては書かれていなかったが……野生のチューリップはどんな匂いがするのだろうか?

野生のチューリップ (月刊たくさんのふしぎ2017年5月号)

野生のチューリップ (月刊たくさんのふしぎ2017年5月号)