こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

うたがいのつかいみち (たくさんのふしぎ傑作集)(第104号)

この本の登場人物は二人。ゴフムさんとソルテスさんである。

ゴフムさんは、“うたがいの名人”。

みんながあたりまえだと思っていることを、うたがってみせるという。そのうたがいを解いてみせた人にはお金を進呈し、答えに詰まった人からはお金を取るというふれこみだ。

大勢の人たちがゴフムさんに言い負かされ、お金をむしり取られる。誰もやってこなくなったところで、ゴフムさんは子供たちにうたがうことを教え始めるのだ。

そこへ登場するのがソルテスさん。

「おまえさんは、子どもたちに『この世界は、ほんとは何もない、うその世界かもしれない』とか、『わたしは今ほんとに本を読んでいるんだろうか』なんて、うたがわせているそうじゃな」

続けて、

「おまえさんは、なかなかいいことを考えなさる。じゃが、そこでみんなをこまらせておわり、というのでは、うたがいのつかいみちを知らんとみえるな」

と言うのだ。

 

この世界があるとか、私がいるとか、どういうことなんだろう?時間だけはたっぷりあった子供のころ、通学途中などでえんえんと考え続けたことがある。ゴフムさんの問いは、子供のころの私の疑問と同じなのだ。

ゴフムさんはぶつけるうたがいを、ソルテスさんに次々論破されるが、実のところ私は、ゴフムさんの方に肩入れしたくなる。

ゴフムさんは、

「自分が知らないことを知るためにうたがいなされ。ひとをこまらせてよろこんだり、いばったりしている自分を、これでいいのかって、うたがってみないとな」

ソルテスさんに嗜められているが、それでもやはり、ゴフムさんの仕様もない人間臭さが好きだ。

最後はやはり、

「うたがうということは、自分自身をぎんみすることで、ひとをこまらせてよろこぶためにすることではなかったんだなあ」

とゴフムさんは反省し、

「そうそう。それがわかっていれば、おまえさんのうたがい自体はとても大事なことだったのだから、わしの言ったことでおわりにしないで、もっともっと考えてよいことなんじゃ」

と説かれている。

でも「人を困らせてよろこぶ」とか「お金をむしり取る」という目的でなければ、すなわち目的が善であれば……ゴフムさんのうたがいのつかいみちは「良いこと」だといえるのだろうか?子供たちにうたがうことを教えるという行為は「良いこと」だったのだろうか?ふと考えこんでしまった。

もしかしたら、ゴフムさんの投げかけたうたがいを、えんえんと考え始める子供もいるかもしれない。考えるのは良いことだという前提に立った話だが、下手の考え休むに似たりとも言うし、ただ考えればいいという話でもないのかな?とか……いろいろ考え始めると、じゃあ果たして今考えているこの問題は、うたがいのつかいみちとして正しいことなのだろうか?と……なんだか“下手の考え休むに似た”ことになってきた。私はソルテスさんにはなれない。

うたがいのつかいみち (たくさんのふしぎ傑作集)

うたがいのつかいみち (たくさんのふしぎ傑作集)