こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

ゆかいな聞き耳ずきん クロツグミの鳴き声の謎をとく (たくさんのふしぎ傑作集)(第303号)

先日また「東京都檜原都民の森」の自然観察イベントに参加した。

指導してくださるのも前回と同じ先生方だ。この日はあいにくの天気。初日は屋内での講義が中心となった。それでも、雨の合間に少しだけ外に出て、蜂の巣の空き家にミソサザイが間借りしている様子などを観察した。

夕方、雨が少し上がった後、コウモリの観察をしようと外に出たのだが、外気温が低いため、コウモリたちはなかなか出てこなかった。ここでコウモリを観察できる機会は、この時期のこの泊まりがけのイベントだけということで、指導員の方も残念がっていた。そこで登場したのがコウモリ探知機。思わずBAT DETECTORだー!と声を上げてしまったが、Amazonにもありますよと言われて、調べてみたら本当に売っていた(追記:どうやら今は扱っていないようだ。違うネットショップなどでは取り扱いがある)

夜、テンなどの観察をしていたときのこと。子供同士、見たことがある動物自慢が始まったのだが、それを聞いていた先生が「種類を見るだけなら動物園でも水族館でもできること。1つのものをじっくり観察することが大事なんだよ」とおっしゃった。動物の観察というのは友だちになるのといっしょ。顔を覚えて、家を覚えて、声を覚えてと、観察を続けるとそういうことがわかるようになる。上手に見つけることができるようになるよと。

 

本号『ゆかいな聞き耳ずきん』は「1つのもの(クロツグミ)をじっくり観察」のなかでも、個体識別についての奥深さを感じさせてくれる。

クロツグミのさえずりは、ウグイスでいう「ホーホケキョ」のようなわかりやすいものではない。大学で3年間、クロツグミの研究をしていた作者でさえ、無限にさえずりの種類をつくりだすように聞こえていたという。

大学卒業後、高校の教員をしていた作者は、ある時久しぶりにクロツグミの声を聞きたくなり、夜中に車を飛ばして箱根までやってくる。ツグミの仲間は夜明け前から鳴き始めるので、暗いうちに現場にいなければならないのだ。声に聞き惚れていた作者は、さえずりの中に同じフレーズが聞こえるのに気づく。

そこで、

クロツグミのさえずりも無限ではないのかもしれない。1羽が何種類もの鳴き声をもっているけれど、そのくみあわせ方を変えて鳴いているだけなのでは?そのことがわかれば、「クロツグミはこう鳴く」と、いえるのではないか。

という仮説を思いつく。そしてさえずりをテープに録音し、鳴き方の決まりの謎を解くべく研究を始めることになる。

当初は箱根に通っていたものの、鳴き方の決まりが徐々にわかってくるにつれ、今度は大学時代に観察していた金沢の森で確かめてみたくなる。週末、金沢と東京を往復する生活が始まるが、

3年間ためた貯金も見る見る減っていきます。でも、少しももったいないとは思いませんでした。お金では買えないものが手にはいるかもしれないのです。

そしてついには教員をやめ、観察に没頭するようになるのだ。

 

エゾクロテンのすむ森で(第314号)』の作者もそうだったが、個体に名前をつけて観察していると、そして思い入れの強い個体がいると、どうしても情が移ってしまうようだ。いつか姿を消す日が来るとはわかっていても、いざその時がくるととても寂しく思うものだ。今号の作者石塚氏も「私の人生まで変えた」個体が、翌春帰ってこなかったのにひどくがっかりしている。どちらの本も、最後は何とも言えない寂寥感がただよっていて、こちらまでグッと心をつかまれる。これは単なる研究観察のお話ではなく、一編の物語なのだ。

主人公はもちろん生きものだが、隠れた主人公は作者の方かもしれない。好奇心のままに動き、謎解きに没頭する。読む子供たちは作者の行動になんの疑問も持たないだろうが、大人の私はちょっとうらやましく感じてしまった。