こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

ハクチョウの冬ごし(第309号)

本号は「作者のことば」によると、

 私の住む山形県鶴岡市大山には、今でも貴重なブナ林のある高舘山と八森山があります。

 八森山のふもとに上池があり、高舘山のふもとに下池があります、このふたつの山も池も、私の幼いころからの動植物の観察の場であり、遊び場でもありました。優れた自然環境が認められ、現在はラムサール条約湿地に指定されています。

 今から二十四年前、上池の仕事場に移ってきたとき、上池を見下ろしながら「ここにもハクチョウがやってきたらいいなぁ」と思ったことがあります。それが今から二十二年前に、とつぜん上池と下池に四百羽のコハクチョウが姿をあらわし、地元の人びとを驚かせました。私の思いが現実になったわけです。そのときからずっとハクチョウを追い、観察し続けています。

越冬にやってきたハクチョウが、シベリアに帰ってゆくまでの観察を元に作られた本だ。

ハクチョウというと、優雅な鳥というイメージがあるが、本書で見られる白鳥の姿は、力強くたくましく生きぬく野生のものだ。泥の中に顔を突っ込んで一生懸命エサを取る姿。エサの奪い合いをしてお互いに噛み付き、翼で打ち合い、大声で鳴きながらケンカだってする。来る冬を乗り切るために、腹一杯食べて脂肪を蓄えておかなければならないのだ。

冬越しの危険は飢えだけではない。11月に入ると、雪がちらつき始め、強い季節風が吹くようなる。池から飛び出したところを、突然の強風に巻き込まれて失速し、地面に叩き付けられ、死んでしまうことだってあるのだ。

電線に引っかかってしまい、落下して大怪我をしたり、命を落としてしまうことすらある。作者は電気会社に掛け合って、目印となるオレンジ色のビニールを電線につけてもらうよう取り計らっている。おかげで事故が起こることが少なくなったそうだ。

冬の間、まともに食べることができず、やせ細って死んでしまうコハクチョウ。弱り切って渡りをする力が尽き、仲間たちの励ましもむなしく、飛び立つこともできず死んでゆくオオハクチョウの若鳥。

厳しかった冬を生きぬいたハクチョウたちは、すっかり氷もとけた池でゆったり泳ぎながら、仲間とじゃれあったりする。美しい羽をちょっぴり上げ、胸を張って鳴き合う姿に、無事冬を越せたことを喜び合う気持ちが伝わってくる。

作者の「ハクチョウが来たらいいな」という願いの実現は、実のところあまり喜ばしいことではないようだ。というのは、かつての庄内地方はとても寒さが厳しく、ハクチョウが冬を越せるような場所ではなかったからだ。ハクチョウが見られるようになった22年前からだんだん寒さがやわらぎ、池も一部しか凍らなくなったという。以前はもっと南で過ごしていたハクチョウたちがやってくるようになったのだ。今後さらに暖かくなれば、もっと北上して冬越しするようになると考えられる。実際、越冬するマガモコガモの方は年々数を減らし、北へ移ってしまっているようだ。

地球温暖化を「でっち上げだ」と叫ぶあの男は、パリ協定からの離脱を決めてしまったが、私にあの男を責める資格があるだろうか?もちろん役割の重要さや影響力の大きさを考えれば、私にできることなどアメリカ合衆国大統領とは天と地ほどの差があることは確かだろう。それでも、直接的にも間接的にも、どれだけ二酸化炭素を排出した生活をしているのかわからぬまま、ぬくぬくと便利で快適な暮らしを享受し続ける私に、トランプ氏を批判する筋合いはあるだろうか?

「ふしぎ新聞」のお便りコーナーには、偶然にもまた『ぼくは少年鉄道員 (たくさんのふしぎ傑作集) (第242号)』関連の投稿が載っていた。ドイツ駐在が決まった家族からのレポート。『ぼくは少年鉄道員』を愛読する息子さんを連れ、BPEを訪れたそうだ。クラウスには会えなかったようだが、少年鉄道員の子供たちと記念写真を撮ったり、『ぼくは少年鉄道員』にサインしてもらったりと交流を楽しんだ様子が書かれている。駅の窓口のおみやげ品コーナーには、なんとドイツ語版『ぼくは少年鉄道員』が。日本でもドイツでも愛されるとはなんて幸せな絵本だろうか。

 

<2023年1月1日追記>

ここまで見事な泥パックは珍しいが、顔も身体も泥だらけのハクチョウはけっこういたりする。