こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

みんなそれぞれ 心の時間(第350号)

時間 それは全ての人間に同じように流れているわけではないと思うよ
時間 それは感覚であって 生きたということはただの記憶でしかないって本で読んだ

ゆらゆら帝国「時間」アルバム『ゆらゆら帝国のしびれ』より

子育て中の親(おもに母親だろうが)で、「早くしなさい」という言葉を一度も言ったことがないという人は、ほとんどいないのではなかろうか?寝たい時に寝て、お腹が空けば乳(ミルク)がすぐさま与えられ、不快感を訴えて泣けば誰かが飛んでくる。赤ん坊は自分の時間で生きている。世話をする大人は、その時間に合わせるしかない。しかし、赤ん坊は成長する。成長しなければならない。彼らが保育園や幼稚園に行くようになれば、時間の事情はがらりと変わってくる。今度は彼らの方が「大人の時間」に合わせなければならなくなるのだ。むろん、それまでの成長の間にも、公園などで帰る帰らないのバトルが繰り広げられたり、きょうだいがいる子供は、兄姉の時間に合わせなければならないこともあっただろう。 しかし、本格的に「時計の時間」に合わせる必要が出てくるのは、集団生活が始まってからだといえる。「早くしなさい」という言葉が親の口からひんぱんに漏れ出すのは、園バスの時間なり、保育園に着く時間なり、あるいは登校するために家を出る時間だったり、合わせなければならない「時計の時間」が決まってくる頃からだ。それまでだいたい自分の好きなように時間を使えてきたのに、いきなり集団生活で、決められた時間の中で過ごさなければならないなど、青天の霹靂とまでは言えないかもしれないが、戸惑うことも多いだろうことは想像できる。あまり苦労もしないで合わせられる子もいれば、なかなか難しい子もいるだろう。大人だって「時計の時間」にきちんと合わせられる人もいれば、そうでない人もいるのだから。

本書によると、

もともと時間を長く感じやすい人、みじかく感じやすい人がいます。また、話したり、歩いたり、体を動かしたりするテンポを調べると、人によってちがいがあることがわかります。

ということなので「時計の時間」に合わせやすい人もいれば、合わせづらい人もいるのだ。「自分の時間」が時計の時間とくらべてどうか、というのは、1分間と感じる時間が、じっさいにはどれくらいなのかを測ってみるとわかるらしい。秒針が0(ゼロ)を指したのを見た後、時計から目を離し、1分経ったと思った時点で秒針を見て、それが1分より短ければ「自分の時間」は「時計の時間」より早く進んでいることになり、逆に長ければゆっくりすすんでいることになる。私も2回ほどやってみたが、1分より3〜4秒長くなって、自分ではせっかちだと思っていたけれど、案外のんびりした気質であることがわかって面白かった。「自分の時間」がのんびりだからこそ、時計の時間に合わせるためにせっかちになっている(せっかちと自分では感じている)ということなのだろうか?だからこそ、遅刻をする人に対してあまり寛容になれないのかもしれない(私はこんなに頑張って時計の時間に合わせてるのに、という自分勝手な不満があるのだろう)。

 

子供は今、学校があまり楽しくないらしく、朝の準備もぐずぐずしていることが多い。家を出てからも忘れ物をしてないか引き返してみたりと、行きたくないのだなあと思わせる言動がちらほら見られる。私は、これまでの様子から、彼が「時計の時間」にきちんと合わせられることを知っているので、やきもきしながらも、黙って見守るだけにしているが、一日の大半を過ごす場所である学校が楽しくないというのは、彼にとって大変につらいことだろうなあと、それこそ時間を長大なものに感じているのだろうなあと想像できて、親としても悲しい気持ちになる。自分も小学生時代が長くてつらくて大変だったなあと、この年になってもしつこく思うくらいなので、おいそれと「早くしなさい」とは口に出せないのだ。

みんなそれぞれ 心の時間 (月刊 たくさんのふしぎ 2014年 05月号)

みんなそれぞれ 心の時間 (月刊 たくさんのふしぎ 2014年 05月号)