こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

わたしが外人だったころ (たくさんのふしぎ傑作集)(第124号)

著者は1938年秋、16歳の時アメリカに留学し、ミドルセックス校を経てハーヴァード大学に入学する。大学入学後3年目に、日本とアメリカの間で戦争が勃発し、FBIから取り調べを受けた後、移民局付属の留置場につながれる。当時卒論作成中だった著者だが、教授が警察に取りはからってくれて、留置場で論文を書くことになる。 書き上げた原稿は著者の姉経由で大学に送られ、無事卒業できることになるが、獄中にあるまま卒業式をむかえることになる。

その後、交換船に乗って日本にもどることに決めるが、

日本が戦争に負ける時、負ける国にいたいという思いが、つよくわたしの心の中にうごきました。

と本書には書かれている。

しかしながら、日本で待っていたのは「今年最後の徴兵検査にまにあいます」との区役所からの言葉。結核に冒されていたにも関わらず、「合格。第二乙」と徴兵官に言い渡される。

兵隊になるために日本に帰ってきたのか。

という本書の言葉に、何とも言えない気持ちになったのは、その後日本が敗戦を迎えることを知っているからだろう。 

 1944年の12月に、わたしは日本にもどりました。ここで何度もアメリカ軍の空襲をうけました。それでも、アメリカを憎むことはできませんでした。

 話はまえにもどりますが、日米開戦の知らせをはじめてわたしにとどけてくれたのは、前にコンコードのミドルセックス校で同級生だった友人で、わたしが屋根うら部屋にもどると、そこに待っていて、

「戦争がはじまった。これから憎みあうことになると思う。しかし、それをこえて、わたしたちのつながりが生きのびることを祈る」

 と言いました。しかし、日本にもどってからも、わたしはアメリカ人を憎むことができないでいました。自分が撃沈か空襲で死ぬとしても、憎むことはないだろうと思いました。(『わたしが外人だったころ』より)

 

最近読んだ『質問する、問い返す』という本には、現在佐賀市で保育園の園長をしている男性の話が出てくるが、彼は佐賀県立高校2年の時、地元のロータリークラブの知り合いから交換留学の話を持ちかけられ、あまり深くも考えずにメキシコのティファナに行くことになる。ある時参加したバスツアーで、一人のブラジル人留学生と出会い、育った国は違いながらも気質がぴったり合った二人は、意気投合する。留学の最後に1年間の成果を報告する会がもたれるのだが、そこで現地のロータリークラブの会長に、彼と二人だけで呼ばれ、こう尋ねられるのだ。「もし日本とブラジルの関係が険悪になったとしたら、戦争をしたいと思うか」。もちろん答えはNOに決まっているのだが、重ねて理由を問われ、その時自然に出てきたのは「彼がいるから」という答えだったという。友人の答えもまったく同じだった。「相手のことを知っているから、その出身国についても思い描くことができる。戦争をしないという具体的な行動にもつなげられる。それこそが交換留学をする真の意味である」という教えを胸に刻み、帰国することになるのだ。

同書には、都内にある日本語学校の教師をしている女性の話もあり、彼女は仕事に対する責任感を次のように語っていたという。「私たちの仕事は、単に日本語を教えているだけに見えるかもしれないけれど、実は国の安全保障に貢献しています。始まってしまった戦争は自分たちにはどうすることもできませんが、将来それぞれの国を背負っていく若者たちに、お互いの文化や習慣を知る機会を提供することで、戦争の抑止にもつなげているんです」。

 

前述の佐賀の交換留学生の男性は、現地に到着すると、ホストファミリーの母親から「あなたは私の息子の代わりだから、同じように家での役割を果たしてもらうよ」と厳しく言われたそうだが、『わたしが外人だったころ』でも、作者がホストファミリーのお母さんから「これからは、あなたは家族のひとり」と言われ、家の問題を家族全員で話し合う時にも仲間はずれにされることはなかったと書かれている。

アメリカという国は、ちがうところから来た人たちがおたがいに約束をして、その焼約束をまもって国をうごかしてゆくことを理想としているので、そのやりかたが家庭をつくるときにも、自然と受けいれられています。目をみはる思いでした。(『わたしが外人だったころ』より)

もちろん、かつて奴隷として連れてこられた”ブラック(黒人)”やネイティブ・アメリカンは「約束」の外に置かれてきたことは追記されている。

 

 16歳から19歳の終わりまで英語を使ってくらしたので、敗戦まで、わたしは心の中では英語で考えてきました。日本にもどると、「鬼畜米英」(アメリカ人とイギリス人とは人間ではなくて、鬼かけものだ)というかけ声がとびかっていて、それはわたしのことだと、いつもおびえていました。負ける時には日本にいたいと思って帰ってきた結果がこういうことでした。(『わたしが外人だったころ』より)

戦争における「人殺し」の心理学』を引くまでもなく、戦争では相手を鬼かケモノと思い込まなければ殺すことはできない。自分と同じ人間として見る時、ましてや「友だち」である人を、殺すことはできないのだ。

 

本書の絵は佐々木マキがつけているが、著者のその壮絶とも言える人生とは裏腹の、強くきっぱりとした主張があるわけでもない内容に、ぴたりと嵌ったものになっている。抵抗する人生の裏に隠された茫漠とした不安感は、その名をマキ (抵抗運動)から取った佐々木マキにしか表現できないものだろう。

質問する,問い返す――主体的に学ぶということ (岩波ジュニア新書)

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