こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

迷宮へどうぞ (たくさんのふしぎ傑作集) (第46号)

はてなキーワード(現「はてなブログ タグ」)で「たくさんのふしぎ」には、

“マニアックな題材、作家選びがされており”

との説明がある。

『迷宮へどうぞ』の著者、種村季弘ほどマニアックという言葉が合う人もいないのではないか。私が彼の名を知ったのは高校生の時。「たくさんのふしぎ」も書いていたとは驚きだ。

当時、青土社の『imago』という雑誌を読んでいたのだが、なかに種村氏の「ビンゲンのヒルデガルトの世界」という連載があった。“聖女”好き*1の私が、幻視者であり聖人であるヒルデガルトに飛びつかないわけがない。単行本になったとき、安くもない本をいそいそと買いにいったことを覚えている。

 

迷宮と意識したことはないが、確かに“シュヴァルの理想宮”もその一つだ(『シュヴァル 夢の宮殿をたてた郵便配達夫 (たくさんのふしぎ傑作集) (第215号) 』)

いくつもの迷路があり、階段があり、ひみつの小道があり、地下室や高い塔もあります。こどものころから空想していた、自分だけの城を、とうとう自分ひとりの手でたててしまったのです。

と紹介されている。

 

「作者のことば」では、わたしたちの身近にある“迷宮”についての考察がある。

たとえばすごろくは、 

 コマのゆく先々に、悪者や、怪物や、じゃまものが、まちぶせをしていて、なかなかアガリにゆきつけません。じゃまものをのりこえて、はじめて、中心にたどりつけるのです。

 それには、勇気だけではなくて、サイコロをふるときの、おちつきや、つぎにどれだけコマをすすめるかの、計算が、ひつようです。紙でつくった、迷宮でも、やはり、勇気と、頭のはたらきが、勝つのですね。 

という案配。石けりあそびも、どうくつ探検も、ジャングル・ジムも、実はみんな迷宮あそびなのだということが書かれている。

 

本書の最後は、こう締めくくられている。

 さあて、みなさん、いよいよ迷宮を脱出しましたね。おめでとう。「そうか、なあるほど。この本も、本の迷宮だったのだな」

 よみおわって、そう思ったでしょう。本も、一種の迷宮なのですね。ですから、みなさんもこの本のなかにはいって、ほら、こうして、でてこられたではありませんか。

 迷宮も本もふくざつになればなるほど、おもしろいんだ。

 こんどは、どんな本の迷宮にちょうせんしようか。

迷宮の本だけではなく、本の迷宮ともいえる著作を数多く残し、“二十世紀の日本の人文科学が世界に誇るべき「知の無限迷宮」の怪人” と評される種村氏らしい言葉だ。

*1:ジャンヌ・ダルクから始まり、ルルドの泉で有名なベルナデッタ・スビルーなど。アビラのテレサを題材にした、ベルニーニの聖テレジアの法悦は大好きな作品のひとつだ。