こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

ことば観察にゅうもん (たくさんのふしぎ傑作集)(第277号)

みんなでつくる1本の辞書』で「ところが、この号だけ(だと思うが)は、48ページなのだ。」と書いたが、この『ことば観察にゅうもん』も同じく48ページ構成だ。ちなみに、この本でイラストを担当している祖父江慎氏は『もじのカタチ』という「たくさんのふしぎ」を書いているが、こちらもどうやら48ページ構成らしい。

子供は今、夏休み。これを寝っ転がって読みながら、ギャハハギャハハと笑っていた。祖父江氏のコミカルなイラストが、言葉あそびの面白さに相まって、ツボにハマったらしい。

「はやりことば」のページには、"さいきん、はやったはなしことば"として、おっはーチョベリバといった言葉が掲載されているが、新語・流行語大賞によると、おっはーは2000年、チョベリバは1996年ということなので、この号が発売された2008年にはすでに使わなくなりつつあったと思われ、チョベリバに至っては、今やウィキペディアで「廃語である」と断言されているところが哀れを誘う。一方で、さぼるドンマイどたキャンのように、流行語として始まったようなものが、俗語として今でも使われている言葉もある。

祖父江氏が「でも文字って、物事を伝えにくいものなんですよ」と言うように、文字で何かを伝える、自分の意図するところ or 考えたとおりのものを、文字を使って、相手に正確に伝えるというのは、途方もなく難しいことなのだ。私自身はLINEをやらないが、友人や知人がPTAやサークルでのLINEを使ったやり取りに、疲れきった愚痴をこぼしているのをたまに聞くことがある。面と向かわない、声の調子もわからない、非言語的な手がかりが見えない中での、ことばのやり取りは、LINEスタンプが非言語コミュニケーションの代わりをつとめているとはいえ、行き違いや誤解を生むこともあるのだろうなと想像できる。

ブログを書くようになって、いつも同じような表現しかできていないなーと、自分のボキャ貧(これも死語か?)ぶりに、忸怩たる思いをしているわけだが、まれに、あーこれこれこういう表現で書きたかった、この言葉がぴったり合うよ、という文が書けたときには、本当にうれしい気持ちになる。

LINE時代のことばの文化はこれからどう変化していくのか、ビジネスは、そしてプライベートさえもこの人が主張するような方向に進み、電話応対という話し言葉の文化は廃れていくことになるのか、今かかってきた、大手都市銀行の営業電話を聞きながら、とりあえず当面は電話文化が消え去ることはないかもなーと、それでも、マニュアル通りの言葉をただ読み上げるだけの、まったく血の通わない話し方に、これならロボットでもできることだよなーとちょっとため息をつきたくなったが、いざロボットから営業電話がかかってきたら、問答無用で叩き切るのに違いない。

ことば観察にゅうもん (たくさんのふしぎ傑作集)

ことば観察にゅうもん (たくさんのふしぎ傑作集)