こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

野生動物の反乱(第313号)

白山から下りた後、宿泊したのが一里野温泉にある岩間山荘。ここのご主人は“マタギ”をしておられる。熊や猪の料理を堪能できる宿だ。女将さんのお料理は、家庭料理の延長線上にあるものだが、どれもこれもホッとできる味。本当においしかった。家庭料理といっても、熊肉と大根を炊いた熊大根や、猪鍋、猪シチュー、蜂の子など、決して「普通の家庭」で登場するメニューではない。とくに熊の煮凍りは、濃厚な旨味が口の中に広がり、熊のエネルギーをそのままいただいているという感じ。身体中に滋養がしみわたるようだった。

獣肉を無駄なくおいしくいただくためには、手間ひまかける必要がある。仕留め方や解体方法に始まり、料理法の工夫、下ごしらえなどなど。決して簡単にいただけるものではない。ご主人や女将さんなどの心づかいがあってこその、お料理なのだ。

子供は初めて食べるものに興味津々。猪鍋や煮こごりなど子供の膳にもたくさん用意してくださっていたが、お子様用の海老フライもそこそこに、親のお膳にまで手を延ばす始末だった。

朝食も、地のもの旬のものを中心にしたメニュー。毎日こんな朝ごはんで一日を始められたら幸せだろうなあ。用意するのが私である以上、実現はきわめて厳しい。地のキノコのみそ汁は、自分の分をすぐ食べ終えた子供に、美味しいからちょうだいと半分ほど食べられてしまった。

お料理に見られる心づかいそのままに、ホッとできる宿だ。至れり尽くせりのサービスはないが、逆にほどよい距離感が心地いい。また、冬に訪れてみたいと思わせる素敵なところだった。

 

ほどよい距離感。

この『野生動物の反乱』は、野生動物と人間の、適度な距離について書かれた本だ。近年、シカやイノシシ、サルなどによる農作物の被害が増えている。人里でクマを見るのも珍しいことではなくなった。

作者はその原因として二つのことを挙げている。

第一に、里山が利用されなくなったこと。

第二は、野生動物を保護し管理するしくみが不十分なこと。

里山は「人がすむ村里と奥山の間にあり、野生動物と村人とが共同で使う場所」だ。

人が里山にいるときは、動物たちは姿をかくし、人がいなくなると自由にふるまっていました。

人がよく里山を利用している時代には、野生の動物の多くは農作物荒らしをせず、山の中で暮らしていました。 

しかし、昭和30年代中頃から、農家の生活が大きく変わってゆく。里山の利用は大きな転換点を迎えることになったのだ。広葉樹を伐採し、建築材として有用な針葉樹を植えたはいいが、その後林業も成り立たなくなってしまった。森は捨て置かれ、竹林がどんどん広がり、かつて里山に豊富にあった野生動物の食べ物は減る一方。野生動物たちはやむなく人里に下り、農作物を荒らすようになってしまったのだ。

 

野生動物が人里に出ないようにするためには、

ドングリのなる木、ブナなどの広葉樹林、ガマズミやナツハゼなどの実のなる低木林、アケビヤマブドウなどの実のなるツタ類、草地などをふくむ動物の餌が豊富な里山を作ることです。

そして、里山と田や畑の間に空き地を作り、動物が人里に出にくいようにします。

それでも出るようなら、花火や犬を使ってお仕置きをして奥山へ帰してやり、人里の怖さを教えてやることが肝心だという。同時に、動物たちにすむところを与え、動物を保護する活動も進めなければならない。

しかしながら、

激増する野生動物 ~福島の生態系に何が~ - NHK クローズアップ現代+

を見ると、一筋縄ではいかない現実もみえてくる。

生活の場を、いったん野生動物に乗っ取られてしまうとコントロールは難しい。もっとも“乗っ取る”というのは、人間側の勝手な言い草かもしれない。里山を利用しなくなったのも、原発事故で土地を離れることになったのも、あくまで人間側の事情だ。野生動物からしたら知ったことではない。住民がふるさとを取り戻すため、一生懸命頑張っているのと同じように、野生動物もまた、必死に生を生きているだけなのだ。人間と野生動物のほどよい距離感を取り戻すには、まだまだ時間がかかることが予想される。

 

本書の最後は、里山の利用法として「森遊びのすすめ」や「こどもの森を作ろう」という提案がなされている。『森はみんなの保育園(第320号)』とつながるところがある。

「作者のことば」では、

子どもの頃、里山はよい遊び場所でした。春はフキノトウやワラビなどの山菜とり、秋はアケビヤマブドウ、クリなどの山の幸をとって楽しみました。ウマノスズと呼んでいたナツハゼの実の、甘酸っぱい味を想い出すと、今でもつばがわいてきます。

とあり「野山のごちそう」を楽しんでいたことが書かれている。

里山保全は手間もお金もかかる「事業」だ。かつてのように、生活に欠かせない場でなくなった里山を、いつまで、どれだけ維持管理できるのか。人手も予算もない地方のほとんどでは、里山の重要性をわかってはいても、荒廃をなすすべもなく見ていることしかできないかもしれない。一方で、冒頭紹介した“マタギの宿”は、里山を、生活の糧を得る場として上手に利用しているように見える。ご主人や女将さん、ご家族や周囲の方々もひっくるめて、その土地を愛する気持ちがあるからこそ、続けられる「商売」なのだろう。

月刊 たくさんのふしぎ 2011年 04月号 [雑誌]