こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

古くて新しい椅子―イタリアの家具のしゅうりの話 (たくさんのふしぎ傑作集)(第143号)

私は一人っ子だが、何でも新しいものを買ってもらえてたかというと、そうでもなかった。

例えば勉強机。これは父が使っていた事務机のお下がりだった。本当に何の変哲もないただの事務机。可愛らしさのかけらもない。椅子にいたっては中古屋で買ったもの。これまた、何の変哲もない事務用の椅子。ベッドも母のお下がりだった。遠方にある母の実家からわざわざ送ったものを使っていた。それでも、布団生活から憧れのベッド生活になって嬉しかったことを覚えている。

実家はそれほど生活に窮していたわけではない。当時だって、新品の机もベッドも、余裕で買えるだけのお金があったと思う。しかし、貧しい暮らしの中で育ってきた父は、まだまだ使えるものを捨てて新品を買うということは考えられなかったのだろう。

私はかわいらしい机にそれほど興味がなかったから、特段不満を述べる訳でもなく、高校卒業までそこで勉強した。と、書いたところで、よその家にある真新しい子供机がやっぱりうらやましかったことを思い出した。ベッドは元々母が使っていたものの上に、私や従姉妹やらが飛び跳ねてさんざん遊び倒したマットレス…スプリングも大分へたったものをそのまま使っていたので、寝心地がずいぶんと良くなかったことも思い出してしまった。

だからこの本で、主人公のマルコが、新しい勉強机を買ってもらえると思ったのに、「ひいおじいさんのころから家にある、お父さんもこれで勉強した」というオンボロ机と椅子を物置から引っ張り出されて、がっかりした気持ちはよくわかる。

椅子に張ってある藁は破け放題、机は傷だらけでしかも1本の脚が折れており、塗装がすっかり剥げている。おまけに引き出しがひとつなくなっている有様。修理をお願いするために職人のパオロ氏のところに行くと、100年ほど前に作られたと思しきこの机と椅子は、さらにフィレンツェの大洪水にやられて水浸しになった物だと言うのだ。

そんな傷みの激しい家具を、本当に修理できるのか?木が腐っているわけじゃないから大丈夫と請け合うパオロ氏の手によって、机と椅子の修理が始められることになる。しかしながら、パオロ氏一人だけで修理がまかなえるわけではない。椅子のワラ張りをするアンナさん、引き出しの取っ手の金具を作る職人のランベルトさん、そしてランベルトさんはさらに鋳物職人のブルーノさんに金具の鋳物作りを依頼する。そうして、職人たち皆の手によって修理を施された机と椅子が、マルコの元に届けられることになるのだ。

職人がひとつひとつていねいに手で作っていた家具だからこそ、そして、家具を修理する職人が今も存在し仕事を続けているからこそ、ボロボロの机と椅子は「マルコの新しい机と椅子」として生まれかわることができた。

翻って、家のダイニングセットの椅子を見てみると、籐が破れ、座面が擦れて汚くなっている。結婚時に、夫の実家で使っていた物を譲り受けた上、さらに家で10年以上使っているのでかなり年季が入ったものだ。それでは修理にと思って調べてみると結構なお値段で、じゃあ自分で修理できるものかと思えば、器用な人はできるかもしれないけど…という感じで、新品を買ってしまった方が手っ取り早いのでは?という思いを禁じ得ないのであった。 修理というのはかくも手間も隙もお金もかかる、贅沢な仕業なのだ。

古くて新しい椅子―イタリアの家具のしゅうりの話 (たくさんのふしぎ傑作集)

古くて新しい椅子―イタリアの家具のしゅうりの話 (たくさんのふしぎ傑作集)