こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

富士山のまりも(第348号)

週末、子供が山中湖に行きたい(もちろん目的は野鳥)と言い出したので、家族で出かけることになった。それにしてもわが家は、一人しかいないこの子に甘過ぎやしないか?どこそこへ行きたいといえば車を出してやり、あそこで鳥を探したいと言われれば唯々諾々と連れてゆく。こんなことで良いのだろうか……。

陽射しが暖かいとはいえ、春は来たばかり。湖畔には冷たい風が吹きすさび、散策にはなかなか厳しいコンディションだ。湖の周りを、車をちょこちょこ走らせては歩き回り、探鳥に勤しんでみたが、目当ての鳥は見つからず。山中湖周辺はずいぶんとヤドリギが繁茂しており、ヤドリギレンジャクがやってくるので有名だが、結局見つからず空振りに終わってしまった。カメラを手にぶらつく人々も目についたが、ここ山中湖では必ずしもバーダーとは限らない。富士を撮る人もいるのだ。

その後、別荘地の方に向かい、鳥が来るという水場を歩いて探しまわったが、道に迷ってなかなかたどりつかない。勾配がきつい道を行ったり来たりでへとへとだ。あきらめようと言ったが子供は納得せず。引き返した道で偶然発見しなんとかたどり着いたものの、やって来たのはシジュウカラの幼鳥1羽のみ。帰る道々きょうは空振りだったねと言ったら、空振りじゃないもん、かわいい幼鳥を見れたじゃない!と宣うた。私なぞここまで来てシジュウカラ一羽か、なんて思ってしまうが、子供はそうは考えないらしい。幸せな奴だなあ。まあ本人は車に乗せてもらってるだけだから、山中湖くんだりまで来たという意識はないのかもしれない。

前置きが長くなったが、山中湖で「マリモ通り」の標識を見て、あっと思い出したのがこの『富士山のまりも』。

マリモといえば阿寒湖。「ふしぎ」でも『まるいはマリモ(第134号)』が出ている。しかし山中湖でマリモ?自分が小学生だった時、たしかマリモのお土産を買ってきたことがあるが、あれはどこのものだったのだろうか……と糸くずのような記憶をたぐり寄せながら読み始めた。

小学5年生のときの自由研究が、50年以上たってから新聞にとり上げられて話題になるとは、思ってもみませんでした。

という一文から始まる本書は、地味ながら本当に素敵なお話だ。

父母が東京生まれのため「田舎」というものをもたず、寂しい思いをしていた小学生の作者。友人家族にさそわれて毎夏訪れるうち、山中湖が「ふるさと」のようになっていったこと。標本作りのため昆虫採集をするはずが、戯れに持ち帰ったマリモを育てるうち、心ひかれていったこと。担任の先生が、自由研究を熱心に推進していたことから、5年生の研究は山中湖とマリモをテーマにしようと決めたこと。マリモ集めのため、お父さんがゴールデンウィーク、山中湖にわざわざ連れていってくれたこと。夏休みの間、マリモの水槽を飽かず眺め、水替えを工夫したりしながら実験し「山中湖の研究」として自由研究をまとめたこと。作者の亀田氏が5年生の時作成した、その自由研究もちゃんと載っている。

自由研究を完成させた後も、マリモは育ち続ける。亀田氏が家を出てからは、お母さんが世話をし、順調に増え続けていくのだ。家族を連れ帰省するたびに、マリモの様子を確かめる作者。この、長年マリモの世話を欠かさなかったことがのちに、新聞記事にとり上げられるような“発見”につながっていくのだ。長年の会社勤めを辞めた今、亀田氏は50年前の自由研究の続きに取りかかっている。

作者は研究者と呼ばれる人ではない。大学を卒業し就職して家族をもち、単身赴任をしたり、年老いた親と同居したりと、ごくふつうのサラリーマンとして人生を歩んできた。しかし、研究というものは、その対象に対する飽くなき好奇心と愛さえあれば、いつでもどこでも始められるのだ。たとえ遠ざかっていたとしても、それまでの経験や家族含め人とのつながりが、ふたたび縁をつないでくれることもある。

斉藤俊行氏による挿絵がまた、素晴らしい。『こおり』『かしこい単細胞 粘菌』『ゆきがうまれる』もすごく良いのだが、私は『富士山のまりも』がいちばん好きだ。回想のセピア色の風景、山中湖の青、夕焼けに染まる富士、そして人の表情。色づかいも温かくホッとできるものだ。主人公である「水中のマリモ」の描写も素晴らしい。

たくさんのふしぎ」の中でも、とりわけ印象に残る1冊となった。

「ししのふん」はまさかの大発見 60年経っても続く自由研究:朝日新聞デジタル

富士山のまりも (月刊 たくさんのふしぎ 2014年 03月号)

富士山のまりも (月刊 たくさんのふしぎ 2014年 03月号)