こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

外国の小学校 (たくさんのふしぎ傑作集) (第13号)

アメリカの小学校は、土曜日はいつも休みなんだ。つまり週5日制。

これは『外国の小学校』の中で、アメリカ合衆国サウスサンフランシスコ市にあるポンデローサ小学校を紹介した文の一部だ。この本が出版されたのは1986年。私も小学生で、その頃は毎週土曜日も学校に行っていた。

このエントリーで、”土曜授業復活の兆し”と書いたが、とうとう来年度から子供の学校でも土曜授業が始まることになった。毎週ではなく月1程度、例年行われている土曜実施の行事や参観を含めてのことなので、それほどの負担はなさそうにも見える。しかし、例年数回あった振替休日は運動会を除きすべてカット。この辺の負担がじわじわ効いてきそうな感じもしている。

ポンデローサ小学校の時間割(当時)は、日本のそれと比べると面白い。午前中の授業は1時間目が90分、中休み20分をはさんで2時間目は70分となっている。一方で昼休み後の3、4時間目はそれぞれ30分だ。子供は午前中の方が元気で集中力もあるからという理由かららしい。算数の授業中に、音楽の先生が入ってきて突然音楽の授業が始まることもある。1986年当時の日本の小学生には、かなり驚きの時間割だっただろう。

驚きといえば、インドネシアジャワ島のスメダンにあるパサレアン小学校も負けてはいない。学校はなんと7時始まりで、6時頃登校する生徒もいる。日本の小学校とは異なり、進級試験制で留年もある。現在のジャワ島の社会事情はわからないが、この当時の子供たちは一家の大切な働き手であり、お手伝いとかいう生易しいレベルではなく家事労働や賃労働に明け暮れる子もいるのだ。したがって、時に学校を休まざるを得ないことがあり、進度に遅れを取ることもある。留年というのはそういう事情も含めてのことなのだ。

留年というのは、日本の小学校に置き換えてみると、ずいぶん厳しい措置だと思えてしまうが、ある意味”アダプティブ・ラーニング(個人に最適化した学習)”の一種とも言えなくはないだろうか。子供は、家庭の事情や病気など個人の事情、学習を一時中断せざるを得ないさまざまな事情に翻弄されることがある。そんな時、学習内容に遅れを取り定着しないまま、補習などのサポートも受けられないのなら、原級に留まって学習し直す方が効果的かもしれない。ただ、自動進級というのも、同年代(必ずしも同年齢でなくてもいいと思うが)の仲間たちと一緒に過ごすというメリットがあるし、学習面だけではなく年齢に応じた精神面の成熟ということを考えると、留年や飛び級制度を導入するとしてどう設計したらいいのか、悩ましいところでもある。

この号のちょうど1年くらい後に出た『雑木林の1年』のふしぎ新聞には、インドネシアの取材で通訳を担当した福家洋介氏が、2年ぶりにこのパサレアン小学校を訪れた話が載っており、当時12歳で4年生だった男の子が無事進級していたり、校内でおやつのお店を開いていた(校庭にはおやつやスナックの小店がいろいろ来る)おばあさんが亡くなっていたり、先生の異動があったりと、2年余りのなかのさまざまな変化が報告されている。

『外国の小学校』には、その他にイタリアのローマにあるマリア・アデライデ小学校(カトリック系私立学校)と、アントニオ・ライモンディ小学校(公立学校)が紹介されているが、良いなあと思ったのは通信簿。イタリアの通信簿は、数値での表現はなく、先生がすべて文章でその子の勉強の様子を書くのだ。理想的ではあるが、多忙を極める今の日本の学校の先生には、なかなか難しいことかもしれない。しかし今「大学入試改革」というならば、前提となる高校教育、中学校そして小学校の成績評価の仕方まで変えていかなければならないのではないか?未知の問題にどのような答えを出すか、それをどう自分の言葉で伝えていくかということを子供に求めるならば、その成績評価を数値やレベルで表すことはできないはずだ。先生自身の生きた言葉で、親ではなく子供自身に伝わるよう表現するというのが、子供たちにとっての生きたお手本になるのではないだろうか。翻って親の私だって、ほめるとき叱るとき、そして何でもない時にも、子供に考えや思いを伝えられるよう努めていく必要がある。それは別に大学入試を目指した話ではなく、これから生きていく上で必要な力となるだろうからだ。

外国の小学校 (たくさんのふしぎ傑作集)

外国の小学校 (たくさんのふしぎ傑作集)

ここからは余談になるが、2002年3月号のふしぎ新聞の「みみずの学校」のコーナーが、とても面白かった。テーマは「学校を変えよう!」。

校腸が冒頭で、

 人間ってさ。気がついたら重要なことが、みな決まってるじゃない!?自分が女か男か、どんな顔か体格か、いつの時代に生まれるか。誰が親か、どの国のどんな町で生まれたか。子どもは学校へ行くってこと決まってる。本人になんの相談もない。ふしぎといえばふしぎだよね。

 よし、首相が構造改革で人気なら、こっちは学校改革だい。楽しく通える学校にかえようぜ。

とぶち上げれば、トップバッターの子供は、

「こわす。こわしておわり」

とこれまたファンキーな回答を寄越している。もっとも「構造改革で人気の首相」自身、「自民党をぶっ壊す!」と言っちゃってるのだから、真似をするのも無理はない。

対する校腸のアンサーはこうだ。

ワァ、なんと過激なトップバッターだ。改革よりまず破壊!?学校がこわれたらショック、混乱するかな?いや、広い世界には学校がなくて、楽しく平和にくらしている土地もある。学校がこわれても、それがいつか普通になるかもしれないな。でも現代は読み書きできないと、そのためにだまされて服従させられるってことも多いですから。

「一日に一時間、『たくさんのふしぎ』を読む授業を作ってみたいです。だって、この提案はふしぎ新聞にのっていたんだもん!それから、自分の好きな授業をうける……というのは、どう?」

という、何とも素直な物言いには、

宣伝のつもりはないけれど、マジでチャンと『たくさんのふしぎ』には、国語も算数も理科も社会も、家庭や音楽や図画工作だって入ってるのさ。体育もホラ、わざわざ整列しなくても

と、まさに『いっぽんの鉛筆のむこうに』や『ヤマネはねぼすけ?』で私が感じたことと同じことを言っている。

子供たちが寄せた回答を見ると、やはり学校に来る日を減らす、授業時間を減らす、遊ぶ時間を増やす、という感じで、学校が楽しくないわけじゃないのだろうけれど、勉強する(させられる)時間はちょっぴりしんどいのだろうなと想像できるものが多かった。好きな科目を選べるようにしたいとか、好きな先生を選べるようにしたいとか、教師をリコールできる学校にするとかいう過激なものもあったりで、いちばん選びたいことについて選択の余地がないということが、楽しくないわけじゃないけど、学校に来る日や授業時間が減ったらうれしい、という本音の一因かもしれない。

奇しくもこの号が出た2002年3月の翌月である、4月の新年度からは公立小中学校及び高等学校の多くで完全に学校週5日制となり、子供たちの願いの一部はかなったといえるのだが、それから10年以上を経過した今、新しい学習指導要領の元、土曜授業が完全復活しそうな兆しもあり、子供たちの望みはふたたび潰えることになるのかもしれない。授業時間を減らす、好きな科目を選ぶ…他愛ない願い事だと思うだろうか?理想論かもしれないが、生きる力を身につける、意欲を育む、自主性を尊重する、というのであれば「自分で選びたいと思ったことを選ぶ」というのは、その一歩なのではないか。すべて選ばせるのは難しくても、好きな科目くらいちょっとは選べてもいいのかもしれない。学校で多くの時間を過ごさなければならない子供たちにとって、これまたその時間の多くは授業だ。授業時間を減らしてほしいという子供たちの願いが適わないのなら、せめて選択の自由はあってもいいのかもしれない。