こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

魔女に会った (たくさんのふしぎ傑作集) (第95号)

きょう、子供は魔女に会った。魔女というよりは、鬼婆だろうか。もちろん鬼婆とは私のこと。子供の机は居間に置いてあるが、机の上のみならず机周りは要るもの要らないものがごっちゃになって積み重なっており、目に余ることこの上ない。新学期を目前にして、いつやるか? 今でしょ!とばかりに、片付けを決行する(させられる)ことになったのである。

もっとも、要るもの要らないものというのは私の価値観であり、子どもに言わせれば「全部要るもの」ということになる。たとえばセロハンテープの芯。たとえば使い終わった絵の具。それらを組み合わせて机の上に飾ってある様子は、親バカフィルターを通せば新手の現代美術と見えなくもないが、斬新だねとほめる余裕もスペースも残念ながら持ち合わせていない。

子供時代は短い。自分の机なんだし、気の済むまで飾っておかせればいいじゃんとも思う。しかし、気が済むまでとはいつまでなのか?いつになっても片付けられる気配のない物ものの山、たかだかセロハンテープの芯、たかだか期限切れのスタンプカード、たかだかぬいぐるみのタグ…たかだかも積もれば山となるわけで、太くしているつもりの堪忍袋の緒だって切れかける。

私主導で始まった「お片付け」に子供が乗り気のはずもなく、いっかな進まない作業に業を煮やして怒鳴りつければ、子供だって大暴れ。せっかく片付いていたものをひっくり返して台無しにしてしまった。ここは親の私が一歩引いて、指導を工夫するべきなのだろうが、子供には始業式前の一日を使って遠出をしたいという希望がある。だったら今日中に片付けをしなさいということで、終わらないとお出かけは無しだぞ!と脅しをかけながら尻を引っぱたけば(比喩です)子供の方は、必要なものって何よ〜?これは要るの〜!と半泣きで座り込むという具合で、時期が来ればあっさり手放せるとわかっている物を、今すぐ処分を迫るのはどうなのか?と切なくなってしまった。自分だって子供の頃、みーんな大事でぜーんぶ取っておきたかったじゃないか。大事な物は自分の一部のような気がしてたじゃないか。 

益体も無い話で本文を費やしてしまったが、『魔女に会った』に登場する最初の”魔女”は、きょうの私のような悪魔ではなく、チチンプイプイというおまじないで子供の傷を癒してくれる優しいお母さんだ。このお母さんのことを語る作者こそ、つい先日国際アンデルセン賞を受賞した角野栄子氏である。  

魔女の物語を書いて以来、魔女のことをもっと知りたいと思っていた私は、やもたてもたまらず出かけていきました。

という彼女が出かけた先は「ドイツの黒い森」にあるブロインリンゲンという小さな町。2月の末、ファスナハトという、仮面の魔女たちが練り歩くお祭りがあるのだという。お祭りの佳境は日も暮れた後、明かりを消し町じゅう真っ暗にした中で行われる”魔女の火渡り”。燃え盛るたき火の上を、ほうきの柄を支柱に魔女たちは次々に飛び越してゆくのだ。たき火のこちら側は冬、あちら側は春ということで、魔女が春を運んできてくれるのだという。

同じドイツでもハルツ地方ワルプルギスの祭りは、魔女は冬そのものであり、春の女神がやって来て、魔女や悪魔が力を失ってゆく様子が演じられる。このお祭りでもたき火が焚かれるが、こちらは魔女のほうきを投げ込んで焼くための炎だ。どちらも冬から春への節目に魔女が関わるお祭りだが、様式が異なるところが面白い。

ベルギーのイーペルという町で3年に一度行われる「猫祭り」もなかなかすごい。巨大な「猫の女王」が現れれば、その後には猫の仮装を身につけた人たちが大行進。夜7時になれば、道化師に扮した人が塔の上から猫のぬいぐるみを放り投げ、餅まきか豆まきさながら、下で待ち受ける人がキャッチするという案配だ(このぬいぐるみはやはり縁起物なのでみな必死)。さて、お祭りのどこに魔女が?と思われることだろうが、夜10時になると「魔女の火刑」というプログラムが始まるのだ。これは、かつてヨーロッパで猛威を振るっていた魔女狩りを模したもので、火刑の場面こそもちろん人形だが、縛られた魔女たちが泣き叫ぶ見世物はかなりリアルで恐ろしい。しかし、何より恐ろしいのはかつてこの広場で、実際に”魔女たち”が焼かれたという事実の方だろう。そして、塔の上から投げられていたのは、猫のぬいぐるみなんかではなく、本物の猫だったということも。

本書によると、ドイツ語でいうところの魔女"ヘクセ"は、垣根にのぼる人という意味なのだそうだ。垣根というのは向こう側とこちら側の境目にあるもので、つまり、魔女とはこの2つの世界を出入りし、それらをつなぐ力をもつ者なのだという。最後に紹介されている「ルーマニアの魔女」は、薬草マトゥラグーナの葉っぱを作者の財布に投げ込みこう嘯くのだ。

「お金がたまるよ。病気もなおす。おできもなおす。うしなったものを見つけるし、牛の乳の出もよくするし、にくらしい人をなくせる。かたおもいをなおす。世の中のわるいことみんななおす。」

薬草の知識をもち、医術を操り、人生相談にも応じる。人間の力ではどうしようもないことを「魔術」の力をもって、その願いを叶えようとする魔女は、敬われ崇められる一方、恐れられ忌み嫌われる存在でもあったのだろう。 

知恵も力もない子供にとって、母親とはこんな魔女のような存在なのかもしれない。自分を守ってくれる存在でもあれば、叱りつける怖い一面をも併せもつ。その魔力が効き目を失ってゆき、母親も自分と同じ弱い人間だと悟った時、子供は大人への道を歩き始めるのだろう。反抗期とは、”魔女”に騙されていた!という子供の怒りの表れなのかもしれない。

魔女に会った (たくさんのふしぎ傑作集)

魔女に会った (たくさんのふしぎ傑作集)