こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり(第299号)

この号『おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり』は、後に増補改訂されて『カラクリ江戸あんない』という本として出版された。

月刊誌の方は、実は、いまいち読みにくいところがあるなあと感じていたのだが、『カラクリ江戸あんない』は、そこのところをていねいに描き直し、シーンも付け加えて格段に読みやすくなった。

たくさんのふしぎ」は、月刊誌として発行された後、「たくさんのふしぎ傑作集」として単行本化されたり、あるいは傑作集以外の形で単行本化されたり(『なんだかうれしい』や『生きる』)、または鈴木まもる氏の作品のように『鳥の巣』は『ふしぎな鳥の巣』として、『ニワシドリ あずまやを作るふしぎな鳥』は『ニワシドリのひみつ』として、お色直しを経て別の出版社から出版されることもある。もちろん、後に出版される単行本の方が、美しく装い直されていて良いなあと思うこともあるが、月刊誌は月刊誌でまた別の魅力がある。月刊誌の方だって、時間をかけて作られていて、決して軽い内容ではないのだけれども、あくまで子供が気軽に手軽に読める本として、もちろん「ふしぎ新聞」などのお楽しみ付録を付けていたりということもあるが、良い意味での”軽さ”を感じられるところが良い。

しかし、この号に限っては、特殊な事情を差し引いても、圧倒的に単行本の方が良い内容になっていると思う。

特殊な事情とは何か?当時話題にも上ったので、ご存知の方もあろうかと思うが、この号は登場人物の喫煙シーンが問題となり、発売中止という事態に発展した本なのだ。図書館には蔵書として置いてあるので取り寄せてみたが「『おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり』について」を印刷したものが1枚と、下記の福音館書店からの「お客様へのおしらせ」を印刷したもの1枚の文書が付けられていた。

たくさんのふしぎ」2010年2月号
『おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり』についてのおしらせ

 このたび、読者の方より、月刊「たくさんのふしぎ」2010年2月号『おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり』に喫煙シーンが頻繁に描かれており、本文にもタバコを礼賛する内容が記載され、WHOタバコ規制枠組み条約に違反する、また日本たばこ産業株式会社の関与が疑われる、とのご指摘をいただきました。
 弊社としましては、この問題を重く受け止め、以下の対応をいたします。

 『おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり』は、主人公のおじいちゃんがタバコ好きという設定になっており、おじいちゃんがパイプをくわえ喫煙したまま孫たちと同席している場面も複数描かれています。これは、過去と現在をわかりやすい形で関係づける小道具として使用したものであり、喫煙を推奨したり、子どもたちの受動喫煙を肯定したりする編集意図はまったくありませんでした。しかしながら、喫煙による健康被害受動喫煙の害についての認識が足りず、このような表現をとってしまったことは、子どもの本の出版社として配慮に欠けるものでした。深くお詫び申し上げます。

 つきましては、「たくさんのふしぎ」2010年2月号『おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり』の販売を中止いたします。また、すでにお手元に届きました同誌については、下記宛にご送付ください。別途ご案内申し上げます。

 なお、巻末にある「協力」は、江戸時代の風俗に詳しい研究者個人として時代考証をお願いしたものです。「たばこと塩の博物館」やその運営母体である日本たばこ産業株式会社と、この作品の企画意図との間には、一切関係はございません。

 子どもの文化に関わる出版社として、今後は、子どもたちの未来と、その未来をとりまく環境にいっそう配慮してまいります。

2009年12月28日
株式会社 福音館書店
代表取締役社長 塚田和敏

当時私はこの問題を知らなかったが、その時どう考えただろうかと想像してみると、大のタバコ嫌いということを割り引いても、おそらく福音館びいきの方が勝って、これくらいの表現で何か問題があるものだろうか、と思ったような気がする。

もともとのきっかけは、こちらのブログなのかなあと思うが、本題である喫煙シーンのことを除いても、

絵本としてのレベルも過去の「たくさんのふしぎ」の中で最低であり、発明好きのお祖父さんが祖先をのぞき見するなどバック・トゥ・ザ・フューチャーのパクリでしかなく、版画の面白みが辛うじてある程度で何の「ふしぎ」もなく、ほとんど価値のない内容と言えます。

とかなり手厳しい評価をされている。批評は自由だけれども、そこまで言うほどのことかなあと、著者や編集に関わった方を気の毒に思ってしまった。

私が定期的に読んでいるブログでも、過去のエントリーでこの問題が取り上げられていて、

タバコとコドモ: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

では、福音館の別の絵本も取り上げながら、子供と話し合うきっかけにしたという意見があり、

「おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり」と「表現の自由」 - 琥珀色の戯言

では、件のブログ主の職業的なところに触れながら理解を示す一方で、不買運動などしなくても、詰まらない本は自然に淘汰されていくだろうし、表現の自由はそんなに甘いものではなく、子供たちの目を信じるべきだと述べている。

その他読んだブログなどにも、福音館は著者の太田氏を守るべきだったのではないかとか、いろいろな視点からの意見が書かれていて、きっかけとなったブログを含め、それぞれに一理ある部分があり、疑問に思う点もあったりで、考えさせられた。

ちなみに子供は、この号も熱心に読んでいたけれど、読み途中は描かれている背景の鳥についてコメントをするのみで、読み終わった後、付いている「文書」も発見して読んでいたが「いやー別にこのおじいちゃんがタバコ好きってだけで、僕が吸いたくなるってわけじゃないし…」みたいなことをもごもご言っていたのが面白かった。タバコの臭いをかなり嫌がる子供でさえ、絵本に描かれる「おじいちゃんの喫煙シーン」は何ら意識に上ることはなかった。

もちろん、絵本が子供に送るメッセージ、無意識にせよ意識されたものにせよ、それについては気を配って作る必要があることは確かだ。件のブログの方の指摘は、家庭内での(親の)受動喫煙に悩まされてきた身としては、決して無意味なものではないとも思う。必然性がないのに、あえて喫煙シーンを描く必要もない。しかし、作者はこの煙管も含めて描きたかったのだろうなあと、作者としては必然性があって描いたのだろうとも思うのだ。

ただ、結果として『カラクリ江戸あんない』として絵本を出し直すことができたのは、良かったことではないかと思う。タバコ嫌いの私をしても、パイプをカッコよく持つおじいちゃんのキャラ造形は、捨てるには惜しいなあと思わせるものだが、全体としての出来映えはやはりこちらに軍配が上がる。

『カラクリ江戸あんない』では、おじいちゃんはパイプの替わりに湯気の立ったコーヒーカップを手にしているが、最後の最後で煙管を登場させるシーンが描かれている。作者はタバコの善し悪しは別にして、江戸の風俗や文化であった煙管を描きたい、子供たちに伝えたい、だからこそやはり欠かしたくないと思ったのだろう。煙管のことをまったく取り上げずに、絵本を作ることもできたはずだが、作者はこういう形で表現することを選んだ。これを単なる妥協と見るか、作者の矜持と見るかは、人それぞれ意見が分かれるかと思うが、私は妥協とは思わなかった。

 

カラクリ江戸あんない (福音館の単行本)

カラクリ江戸あんない (福音館の単行本)