「たくさんのふしぎ」でも、草山万兎名義で
を手がけている。
「ふしぎ」の一冊目がウサギ、ペンネームにもウサギの字を入れるとは、よほどウサギ好きなのかと思われるだろうが、河合先生は霊長類学者。サル研究50年、その道の権威でもある。
なぜウサギ?「作者のことば」には、こう書かれている。
大学生のころ、研究のために庭にウサギの国をつくって、いちばんこまったことは、どんどんふえていくことでした。せまい庭では、けんかが多くなるし、えさもたいへんです。わたしは毎日たんぼへ草かりにでかけては、ためいきをつきました。
でも、もっとつらかったことは、やしないきれなくなったウサギを、よその人にあげるときでした。もらわれていくウサギを見送って、私はいつも半泣きでした。
『庭にできたウサギの国』は、小学生のきょうだいが、庭でウサギを放し飼いにするという態で書かれている。おそらくこの経験を元にしたものなのだろう。
始めに登場するのが白ウサギのシロ。生後40日でもらわれてきた。その後来たのが雄のクロ。繁殖のためにプレゼントされた黒ウサギだ。仲良くくっついて寝そべっている二匹は『しろいうさぎとくろいうさぎ』のようで微笑ましい。
初めての交尾にトライするクロだが、シロからは嫌がられてしまう。ほとんど鳴かないといわれるウサギが、声をあげたくらいだ。うまくご機嫌を取って最終的には成功。人間もそうだが、繁殖に至るまでの道のりは簡単そうでいて難しい。
きょうだい同士の順位づけも大変だ。シロとクロの子供たちは、序列を決めるための“ケンカ”に明け暮れる。見かねてケンカを止めようとする飼い主の明子。一緒に見ていた知り合いの獣医師はこう告げるのだ。
「手を出したらだめ。しずかに見ていなさい。ただのけんかじゃなくて、少年少女になる
ぎしき のようなものなんだから」
人間の少年少女とて、スクールカーストなんてものもあるけれども、何らかの基準で優劣を決めるというのは、秩序を守る上での「必要悪」なのかもしれない。順位づけというのは、集団生活を送る生きものの宿命なのだろう。多様性を認め合うというのは理想だけれど、そう簡単にいかないのは、私たちも動物の一種だからかもしれない。
もちろん、順位は固定されたままではない。学校を出れば別の順位づけがあるし、環境が変われば位置づけも変わる。職場、家庭、趣味のサークル、クラブなどなど……大人になればさまざまな居場所ができるし、ある程度好きな場所を選べるようにもなる。しかし、今いる世界がすべてという子供たちの目に、別の世界を見せるのは難しいことだ。
ウサギの国でも下克上が起こった。以前はアカメ(♀)チャメオ(♂)クロメ(♀)シマオ(♂)の順だったのが、シマオがトップに躍り出たのだ。“男”になったシマオは、メスのアカメやクロメを打ち負かすようになり、チャメオとのケンカも制する。こうして、シマオ(♂)チャメオ(♂)クロメ(♀)アカメ(♀)という新たな順位が決まることになった。
幕切れはあっけない。なんと今度は父親のクロが、息子たちに攻撃を加え始めたのだ。クロを隔離すれば、今度はシマオがチャメオを激しくいじめ出す。「オスを1頭にするよりほかに方法がないね」ということで、シマオとチャメオは別の家にもらわれていく。オスの順位づけ、オスの独り立ちは過酷なものだなあと、まだまだ“子ウサギ”である家の息子を見て、ため息をつきたくなった。
「作者のことば」によると、 挿絵を描いた図子光俊氏は、ウサギの写生に行き詰まったとき、「うさぎ島」に出かけていたそうだ。うさぎの島といえば大久野島が有名だが、彼が出かけたのは三河湾の小島。前島のことだと思われる。当時は無人島だったが、河合先生がウサギを放し飼いにする計画を立て、ウサギの島になったようだ。