こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

おしっこの研究 (たくさんのふしぎ傑作集) (第14号)

NHKのドキュメンタリー、ノーナレ「“悪魔の医師”か“赤ひげ”か」を見た。

タイトルで悪魔か赤ひげかと問われている人物は万波誠氏。77歳になる現在も現役で、腎臓移植手術を行っている。番組の中でも手術シーンが流れていたが、レシピエントの手術が終わった後、手術台の下をみずから膝をついてのぞきこみ、ボトルにたまった液体を見て、

「おしっこ出よる。おしっこ出ればええが」

と、マスクごしにもわかる笑顔を浮かべていたのが印象的だった。

この『おしっこの研究』では、おしっことうんこの違い、腎臓で作られることに始まり、おしっこの原料、膀胱の話、おしっこは汚いものなのか?などなど順を追って、おしっこについての話が進められていく。「みみずにおしっこをかけるとおちんちんがはれるというのはーほんとうか?うそか?」で締めくくられているところが、柳生弦一郎氏の本らしくてユーモアがある。最終ページには「おしっこ」をキーにしたマインドマップのようなものが描かれており、おそらくこれを元に『おしっこの研究』を作ったのだろうなあと、つまり、子供たちが何かを考えたり、調べたり、知りたかったりする時に、どう取っ掛かりを作ってまとめていくかを提案しているところも興味深い。ちなみに私も、小学校中学年くらいの時に、担任の指導でマインドマップを書いたことがあるが、当時の流行だったのだろうか?

おしっこの研究 (たくさんのふしぎ傑作集)

おしっこの研究 (たくさんのふしぎ傑作集)

 

病気腎移植については、当時興味をもって報道を見ていたし、この問題についてのブログ記事にブックマークもしている。それからおよそ10年後、条件付きではあるが認められることになろうとは想像もしていなかった。

万波先生をどう見るのか、悪魔なのか、赤ひげなのか、はその人の置かれている立場によるかもしれない。たとえば、自分または近い親族が透析治療などで苦労していれば、万波先生はそれこそ赤ひげにしか見えないだろう。しかし、腎臓を摘出される立場(ドナー)だったら、部分切除で済まないのか、移植目的で摘出を進められているのではないのか、という疑念をもつのはもっともなことだと思う。

私はどちらの立場でもないし、医療現場にまったく関係のない素人だが、万波先生の、ただ目の前の患者のために治療を行いたいという気持ちもわかるし、透析治療で苦しんでいる人たちの、たとえ病気の腎臓でもいいから欲しいと思う気持ちも想像できる。

一方で、治療にはやはりルールを設けるべきだという思いもある。治療効果がわからない中で、いくら患者さんのためとはいっても「一部の医師だけが勝手に行う治療が、野放しになっている」という状況は好ましいものではない。インフォームド・コンセントがあればいいのではという考えもあるだろうが、医師と患者では情報量・知識量にかなりの差がある。十分な説明の上の同意であっても、未知の治療法である以上、ある意味賭けのようなものにならざるを得ない。

ブックマークしたブログでは、

そうやって禁忌事項を踏み越えられた成功事例というのは、ある段階で、必ず、医学のCommon Knowledgeの中に取り込まれます。多くの場合、それは学会や雑誌などに発表され、追認するものが出て、これまで最良と思われた治療と比較されます。そこで、優れた治療はメインストリームになる。

と書かれているが、病気腎移植がメインストリームになるかどうかは、さらに今後の行末を見守っていくしかないのだろう。

ノーナレでは、当時万波医師を「人体実験」と激しく批判した元日本移植学会幹部の大島伸一医師が、この10年なんだったのだろう、と涙をこらえた表情をしていたが、やはり10年は必要な年月だったと私は思う。もちろん、治療を受ける側としては、10年も!という気持ちはあるだろう。自分や身内のことだったら、大島先生の方を悪魔としか見られないだろうとも思う。

なぜ、大島先生は万波先生に対する批判の急先鋒となったのか?それは先生自身、かつて「無脳児をドナーとした小児腎移植」を行った経験があるからだ。無脳症の胎児や乳児は必ず死に至る。ドナーの両親からの同意も得ている。臓器提供によって助かる命があるなら、目の前の患者をこそ救いたいと思う気持ちは、まさに万波医師と同じものなのだ。しかし「無脳児を人間と思っていないのか」という質問に、大島先生は答えを出すことができなかった。大島先生は「考えると、それは医師が決めてよいことではない。自分たちだけの価値観で物事を決めるのは非常に危ない、と思い知らされた」と語っている*1

過去の苦い経験から、万波医師を批判した大島医師。批判はしたものの、ドナー不足という根本的な問題を解決することはできず、もちろん病気腎移植は解決の一端にしかならないけれども、それでももっと早く認められていたら、救える患者さんもいたのではないか、大島先生の表情に苦悩の色が滲んでいたのは、そんな思いがあるからなのかもしれない。私の勝手な想像にしか過ぎないけれど。

「いつまで医師を続けますか?」という質問に、そんなのはわからない、明日終わるかもしれないし、ただ一日一日やっていくだけだ、と答える万波先生。「大島先生に何かか思うことはありますか?」という質問に、少し黙った後「何にも思わない。でも(医師としての)第一線に戻ったらどうかとは思う」と答える先生。大島先生は、自分が選んだ道をただ黙々と進みつづける万波先生を、少しうらやましく感じているかもしれない。

ノーナレには、当時この「事件」を取材していた週刊誌記者も登場しているが、件のブログを書いた半熟ドクター氏が、

こういう事件は、逆にマスコミ、それもワイドショーの独壇場です。

と書いているとおり、下種い発言を次々に繰り出していたのが興味深かった。

かつてブックマークした記事を、10年以上も経った後、自分のブログで取り上げて書くことになろうとは、当時の自分が知ったらさぞや驚くだろうと思う。月日が経つというのは本当に面白いものだ。10年も経つと、そして経たなくても「お探しのページが見つかりませんでした」という無情なメッセージを寄越すブックマークのエントリーも多い中、半熟ドクター氏のブログは今も現役で、過去の記事も読める状態なのはありがたいことでもある。

*1:脳波がある無脳児ドナーより「無頭蓋症(むとうがいしょう)児からの臓器摘出例」