こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

浜辺のたからさがし(第97号)

大量軽石火山灰を想定した車両走行・道路啓開作業検証実験の実施

桜島で大規模噴火による大量降灰を想定した車両走行実験を実施、というニュースを見た。実験場に大量の軽石がごろごろ転がっている様子に、軽石から連想したのか、

「そういえば、平塚でも小笠原から流れてきた軽石が見つかってるんだって。『浜辺のたからさがし』に書いてあったよ」

と言い出した。そんな記述あったかなあと思いつつ読み直したら、ちゃんと書いてあった。子供はよく読んでいる。

私も小学生の頃は、読んだ本をちゃんと覚えていた。すみずみまで読んで、詳細もよく覚えていた。今のように読んでは忘れ、忘れては読んだり、読んだのも忘れてまた買ったり借りたりとか絶対にしなかった。読書は単なる娯楽、忘れるのも醍醐味、とはいえ、こうも忘れてしまったり読み飛ばしていたりすると、果たして読む意味はあるのだろうかとも思ってしまう。さすがに、このブログに書いた「ふしぎ」については、少なくとも「エントリーを作ったこと」は忘れないと思うが、内容を詳しく覚えているかといったら自信はない。

 

『浜辺のたからさがし』の浜辺は、平塚の海岸が舞台だ。作者が見つけた「おたから」は貝殻や流木、海藻といったおなじみのものから、空き缶など人の出したゴミに至るまでさまざま。5〜6月くらいにはハシボソミズナギドリの死体が打ち上がることがあるらしい。渡りの途中、日本近海に飛んでくるようだが、その多くは若鳥で、エサを十分にとれずに死んでしまうことがあるということだ。たくさん死んでしまう年もあるようで、なぜかほぼ10年おきに巡ってくるとのこと。1993年はその年にあたっていると書かれているので、試しに「平塚 ミズナギドリ 2013」で検索してみたところ、こんな記事が見つかった。この死体の数が多いのかどうか、多いとしたら台風のせいなのか、はたまた当たり年だからなのかは、わからない。

珍しいものとしてはコアホウドリの死体も流れ着いている。作者の目は死体そのもののみならず、羽毛の間にうごめく寄生虫にも注がれる。虫が生きているということは、死後あまり時間が経っていないということ。のちに著者はアホウドリの専門家に発見を報告するのだが、胃の中を開けてみたかどうかを聞かれ、ビニールやプラスチックを誤食して死んでしまう事故があるということで、調べてみなかったのは惜しいことをしたと書いている。ちなみに、前述で紹介した記事にも、コアホウドリと思しき骨が打ち上げられている様子が載せられている。

このコアホウドリが描かれたページは見事で、翼の大きさを表現するために、見開きどころか、前のページも使って合わせて4ページを費やし、翼を広げると2メートル以上という体長を余すところなく描いている。自然観察の絵本を多く手がける松岡達英氏ならでは、緻密ながらどこか柔らかい雰囲気の絵が素晴らしい。

こうした“浜辺のたからさがし”は、古くから行われているようで、唱歌にもなった『椰子の実』を始め、『破船』のようなものも広義では「おたから」に含めることができるのかもしれない。日本は海に囲まれているのだから、ビーチコーミングなどと英語で言わずとも漂着物を探し拾い集めるのは自然なことだったに違いない。もっとも『破船』のそれは、恐ろしいお宝であったが。

お宝といっても、漂着物の多くはいわゆるゴミだ。どんなに美しい浜辺であっても、どこかしらにゴミの吹きだまりのようなところがあるのは、海辺を歩いたことのある人なら実感できることだと思う。数年前訪れた「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展では、ヨーガン・レールの手による作品が展示されていたが、これは石垣島に流れ着く漂着ゴミを使って作られたものだ。美しい照明作品の数々は、とてもゴミからできているようには見えない。汚らしく見えるゴミを、あえて美しい作品として仕立てる、これは年々増えゆくプラスチックゴミに対する憤りから来ているのだと言う。否、ゴミに憤っても仕方がない。プラスチック製品を大量消費し、プラスチックゴミを適切に処分しない人間に対する憤りだ。

本書は1993年に書かれているが、

野生の生き物をきずつけているゴミも少なくありません。プラスチックやビニールが海に浮かんでいると、ウミガメやアホウドリが飲みこんでのどにつまらせてしまいます。浜辺に落ちている釣り糸は、鳥のつばさや足にからみついて、その自由をうばってしまいます。

という同様の事態は、そこから20年あまり経った現在でもこのように、

【動画】鼻にストローが刺さったウミガメを救助 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

あまり変わっていないことに気づかされる。また、

プラスチックのこまる点は、それを食べたり腐らせたりする生き物がいないので、長い間そのままの形がかわらないことです。そのため、いつまでも景色を悪くしたり、生き物をきずつけつづけるのです。

と書かれているが、巡りめぐってこの「生き物」の中にわれわれ人間も入り得るかもしれない、「我々は汚染する者であり、汚染される者でもあるんです」と警鐘を鳴らす研究者もいる。

容器包装リサイクル法で、ペットボトルやプラスチック製容器包装はリサイクルが進んでいるではないかと思われることだろうが、

ペットボトルごみがついに限界!? ~世界に広がる“中国ショック”~ - NHK クローズアップ現代+

でわかるとおり、日本で廃棄されたゴミは、国内だけでリサイクルをまかなっているわけではないのだ。受入国の事情が変われば、リサイクルも立ち行かなくなる。上記の記事を見ると、これをビジネスチャンスととらえて国内でのリサイクルを進めようという動きもあるようだが、それにも限界があるだろう。リサイクルを前提としたプラスチックの大量消費は、岐路に立たされていると言ってもいいのかもしれない。

これからますます、リサイクルよりリデュース、つまりプラスチックゴミを減らす、プラスチック製品をなるべく減らしていくという方向に進んでゆくだろう。進んでいかなければならない。現にシアトルなどでは、プラスチックストロー全面廃止という規制も始められている。私も手始めに、好んで飲んでいるペットボトル入りの無糖炭酸水を少し我慢して、我慢の代わりにビール…ではなく、自宅で沸かす麦茶に置き換えてみようかと思う。

 浜辺でたからさがしをつづけていたら、川から、海の底から、遠い島から、流れついたものが見つかりました。浜辺の自然は地球上のあらゆる場所とつながっています。そして今、私たち人間は、ゴミを出すことによって、そのつながりを乱しているのです。

浜辺のたからさがし (たくさんのふしぎ傑作集)

浜辺のたからさがし (たくさんのふしぎ傑作集)