こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

トーテムポール(第257号)

私が小学生だった頃、校庭にトーテムポールが立っていた。

そびえ立つ木の工作物が、トーテムポールと呼ばれるものであることは知っていたが、どういう謂れのものなのか、その文化的背景や由来などを知ることはなかった。

「作者のことば」を見ると、

 ぼくが小学生の頃、校庭のすみに卒業生が記念に作ったトーテムポールが立っていました。同世代の友人たちに尋ねると、うちにもあったという答えが返ってくるので、当時の小さな流行だったのでしょうか。1970年代のことでしたから、大阪万国博覧会がきっかけになったのかもしれません。

と書かれているので、私の小学校のそれも、当時の流行として作られたものなのだろう。

本書は右開きでかつ、縦開きの横書きという、珍しい体裁で作られている。縦見開きをいっぱいに使うことで、縦に長いトーテムポールをあますところなく表現できるのだ。

しかし、たとえば、カナダはバンクーバーにある、スタンレー公園にあるトーテムポールを紹介したページでは、いちばん低いもので3メートルから、高いものは12メートルのものまで8つのものが載せられているが、縮尺は関係なしに、それぞれ同じような高さで描かれている。これはもちろん、トーテムポールのデザインやスタイルの方をメインで見せるためだと思われるが、いずれにせよ実際のスケールを肌で感じるためには、現地を訪れるしかないのだろう。

現地では、今でも新しいトーテムポールが立てられているが、その伝統が途絶えかけてしまった時もあるようだ。アイヌと同じように「かれらの文化は時代おくれで野蛮なものとして、ときの政府から禁止された」時代もあり、1950年代にはトーテムポールを彫ることのできる人がほとんどいなくなってしまったらしい。

伝統的には文字文化を持たない先住民にとって、トーテムポールは自分たちの物語や神話を表現する役割も果たしていた。アボリジニたちが「四万年の絵」で自分たちの物語を語ったように、星野道夫も興味をひかれていた「ワタリガラスの神話」を始め、「この地の鮭がどのようにして誕生したのか」という神話などが、トーテムポールに彫り込まれている。現在の私たちはたまたま、文字を使って表すことが多いけれども、歴史を振り返れば、文字以外のものを使って語られてきた物語の方がはるかに多いのかもしれない。

 

作者が、旅の途中で出会ったトーテムポールの作り手は、こんなことを言っていたという。

「トーテムポールは残すことに意味があるんじゃない。みんなで力を合わせて立てるのが大切なんだ。もし次の日に嵐で倒れようと、そのまま腐ってしまおうと、気にしないよ。おれたちの子どもの世代が、またあたらしいのを立てるのさ。」

みんなで力を合わせて立てるのが大切だというならば、卒業記念でトーテムポールを制作するというのも、実は目的に適ったことなのかもしれない。しかし、卒業した小学校では、私の時にはすでに作られなくなっており、次の代には引き継がれていないのだ。倒壊の危険をはらむ以上、現実的には、代々何本ものポールを維持管理していくのはなかなか難しいことなのだろう。

もちろん、数十年前のものもメンテナンスして残している学校もあるだろうし、卒業記念として作りつづけている学校もあるかもしれない。学校でのトーテムポール制作は、最初は単に真似して作るというところから始まったのだろうが、現在まで続く伝統として残っているのだとすれば、その学校の「文化」として根付いたといっても良いのかもしれない。先住民の心や文化を受け継ぐというところまではいかないにしても、子供たちが作るトーテムポールにも、子供たちなりの「物語」が込められているに違いない。