こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

拝啓・手紙です (たくさんのふしぎ傑作集)(第38号)

若いころ、一度だけラブレターをもらったことがある。バイト先の人だ。

内容はほとんど忘れてしまったが「好きだ」という言葉があったことだけは覚えている。真っ白な便せんに整った字で綴られた手紙。嬉しかった。

私も心を込めて返事を書いた。断りの手紙を。「私に」恋する気持ちはわからないけれど、誰かを恋する気持ちはわかる。気持ちを告げることの怖さも。手紙を書くまでも、書いてる最中も悩んだだろうし、何度も書き直したかもしれない。渡す時はきっと心臓が飛び出そうな思いをしたと思う。だから私も一生懸命書いた。

当時の恋人だった夫からも、旅行先から送られたことがある。最初にもらった手紙は忘れもしない。宛先に書かれた名前の漢字が違っていたのだ。百年の恋も冷めようかというものだけど、付き合い始めの浮かれ気分にかき消されてしまった。おまけに彼の字ときたら、今の息子の方がよっぽどマシなくらい。恋は盲目とはいったものだ。

 

 「電気技術は地球を小さな村にする」といった人がいます。

 江戸時代には、東京から京都まで6日間かかった通信が、いまはあっというまにできてしまう。ヨーロッパとでも、アメリカとでも、中国とでも同じことです。つまり、それだけきょりがちぢまった、地球が小さくなった、ということになるでしょう。

 が、技術がすすんでも、人間は手紙を書きつづけるだろうと思います。文字を知ってしまった人間は、じかに話さなければつたわらないことがあるのと同じように、文字で書かなければつたわらないものがあることを、おぼえてしまったからです。

 相手とじかに話しあっているときには頭にうかばないようなことを、一人で手紙を書いているうちに思いつくことがあります、相手と向かいあっているときにはいえないようなことも、手紙に書いているとすなおにいえることがあります。

 技術がすすめばすすむほど、人間は、手紙には手紙ならではのよさがあることに気がついていくのではないでしょうか。

この号が出たのは1988年。「あっという間にできてしまう通信」とは電話のことだ。ファクシミリが普及したり、テレビ電話ができるようになると、手紙というものはなくなってしまうかもしれない。しかし作者は手紙がなくなることはないだろうと書いている。

本文には、

電話の登場は手紙に大きな影響をあたえました。電話手紙と同じはたらきを、いやそれ以上のはたらきを、らくらくとやってしまいました。

という箇所がある。今や電話の部分は電子メールやLINEに取って替わられてしまっている。手紙のところに電話を入れてもいいくらいだ。手書きの手紙に至っては絶滅寸前かもしれない。せいぜい年に1回か2回出せばいいところではないだろうか。文具店に行けば、素敵な便せんや封筒がたくさん用意されているので、書く人は書いているのかもしれないが。

それでも「手書きの手紙」の特別感は何ものにも代え難いものだ。いま届く郵便物のほとんどは、印字された宛名で作られている。まれに手書きの宛名があるとハッとさせられる。何ともいえない温かみを感じさせるものだ。それがどんなに下手な字であっても。

学校で字を、作文を練習させるのは、テストのためでも履歴書のためでもなく、愛を伝えるためではないのだろうか。最後に掲載されている「手紙」という詩(谷川俊太郎作)をよみながらそんなことを思った。

 

この本は、作者が読者あてに「手紙についての手紙」を書いているという態で作られているが、最後の方には次のような文が書かれている。

 手紙の話は、これで終わりです。

 こんどは、あなたが手紙を書いてみる番です。

 友だちにでも、先生にでも、いなかのおばあちゃんにでも、広末涼子ちゃんにでも、総理大臣にでも、だれにでもいいから、手紙を書いてみましょう。

広末涼子ちゃん?

ヒロスエのデビューは1995年。この号が出た1988年にはメディアに登場していないはずだが……よく見ると手紙の日付が1998年5月1日になっている。つまり傑作集を出すときに「改訂」されたわけだ。とすると、原本である月刊誌はどうなっているのだろうか?さっそく図書館で取り寄せてみると……そこにはヒロスエではなく「斉藤由貴ちゃん」が!もし天野祐吉が生きていたら、2008年なら、そして2018年なら、ここに誰を入れただろうか?