私は、余った食品を何かしら加工して食べきるのが好きだ。
たとえば、節分の豆。
じゃこと炊き合わせて煎り豆ご飯にしたり、五目豆に仕立てたり。
きな粉を作ったこともある。
ミルサーで粉砕して、ちょこっと味見。香ばしくておいしいが、舌触りはよくない。それもそのはず。篩にかけなければ、なめらかな食感にはならないのだ。市販のものは、どれだけ粒を細かくして作っているのだろう。
『粉がつくった世界』の英題は、"A History of Grinding"。
粉そのもののお話だけではなく、製粉技術の歴史を振り返る絵本でもある。
製粉技術を改良させてきたのは、小麦を中心とする粉食文化の地域だ。
小麦は粉にしてこその食材。粉状にすることでグルテンを作りやすくなるからだ。
ちょうどNHKのガッテン!で小麦粉料理のコツを紹介していたが、グルテンをどう取り扱うかが、粉もの料理のまさに“神髄”なのだ。
お好み焼き 天ぷら ホットケーキ 夢のふわふわサクサク粉ものSP - NHK ガッテン!
一方、日本や一部アジアのように粒食中心の地域では、製粉の道具はあまり発達しなかった。本書によると、昔の日本では、石臼の利用は貴族や高位の僧侶などに限られていたらしい。
戦国時代に入ると、武将たちにより石臼が利用され始めたが、普及に一役買ったのは食べ物ではなく火薬。城の石垣作りなどで石屋の技術が進んだことも相まって、石臼がますます作られるようになったということだ。食べ物を挽く必要のなかった日本で、製粉技術を進めることになったのは戦争だった。
戦争で発達した技術が、生活に応用されるのはよくある話。江戸時代には、水車を使った粉作りまで発展してゆく。作られたのは団子やうどんといった平和なものだけれど。
ミルクやジュースなどの液体も、下の絵のような機械のなかで、熱風にあてると、すぐにサラサラした粉になる。粉にしてしまえばはこびやすいし、いたみにくい。
でも、おいしさはどうなんだろう。えいよう分はどうなんだろう。
べんりさだけで、なんでも粉にしてしまうのも、ちょっと考えなくてはならないだろう。
思い出したのが粉ジュース。そういえば昔あったわ。子供の頃、飲んだことあった。今もポカリの粉とかあるにはあるけれど、あれは粉ジュースに入るだろうか?ミルクの粉は今でもさまざまな種類があり、いろいろな用途に使われている。ちょっと考えなくてはならないだろう、とすすめる風ではないのは、チクロなどで粉ジュースの評価が地に落ちてしまったせいか、それとも森永の事件が尾を引いているせいだろうか。
作者の三輪茂雄氏は粉体工学の専門家ということで、粉塵爆発の話や、当時急速に技術が進みつつあったニューセラミックスの話題も盛り込んである。三輪氏は鳴き砂の研究でも知られていたようで、今は亡き博士が作ったこんなページも残されている。
振り返って表紙の絵を見てみると、私たちが日頃使っている食品、日用品は「粉がつくったもの」であふれていることがよくわかる。
『いっぽんの鉛筆のむこうに (たくさんのふしぎ傑作集) (第1号)』の鉛筆。
『カレーライスがやってきた (たくさんのふしぎ傑作集)(第45号)』のカレールウ。
『小麦・ふくらんでパン (たくさんのふしぎ傑作集)(第92号)』のパン。
『ジミンちのおもち(第327号)』で使われていた白玉粉。
『粉がつくった世界』の発行は1987年。今ではほとんど使われなくなったもの、懐かしのカセットテープや、マッチなどもしっかり描かれている。
大むかしの人たちも、粉をつくって生活していた。
し、今の私たちだって、粉をつくって生活している。
世界は粉でできているのだ。
- 作者: 三輪茂雄,西村繁男
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 1992/10/01
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