こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

字はうつくしい わたしの好きな手書き文字(第455号)

冬休みがきた。

中学に入っても相変わらず出るのが書き初めの宿題(『みらくるミルク (たくさんのふしぎ傑作集)(第131号)』)。ていねいに書くのが苦手な上、お習字の習い事などしたこともない子供が、数時間ぽっちの書写の授業だけで、まともな書を仕上げられるわけがない。毎年(親にとって)頭の痛い宿題の一つである。

今号の作者は『字はうつくしい わたしの好きな手書き文字』とタイトルをつけているが、子供の字は毛筆だろうが硬筆だろうがお世辞にも「美しい」とはいえない。「自主学習ノート」の担任からのコメントを見れば、何を書いてあるかわかりませんとあるし、塾の小テストでは、講師から読める字で書けと厳しい採点が飛んでくる。

ICT活用だのGIGAスクール構想だの言うても、結局子供が生きているのは未だ手書きの世界なのだ。

ノートも手書き(教師への提出あり。出来具合が内申点に影響する)。

ワークも手書き(教師への提出あり。出来具合が内申点に影響する)。

各種テストも手書き(判別できない字は採点に影響する)。

入学試験も手書き(判別できない字は採点に影響する)。

字はうつくしいだの手書きは味があるだの言われても、今はそんなの味わう余裕はない。

ていねいに書け、読める字で書け、誤読のないように書け。

うるさくいうほかはない。見る側にすれば無理もない。何を書いてあるかパッとわからない字はそれだけで気持ちが萎えるものだ。採点に影響するのも当然。「字」が成績に直結する可能性もあるのだから(親にとって)頭が痛い話である。

 

大人になれば手書きする機会は格段に減る。私のときでも、大学のレポートや論文はワープロソフトで作成していた。まして今、人に読ませるためのものは、LINEやメールなどデジタルツールを通すことが多くなっている。手書きするのは自分用のメモくらいなものだ。もしくは役所や病院で書く書類か。

自分用のメモ、なら自分が読めればいい。夫も悪字で、たまに自分用のメモすら読めない事態に陥っているけど。早さ優先、とにかく書き留めること優先というのが、本号初っ端に紹介される「今日もいそがしい!新聞記者の字」である。悪字だと読む気をなくすというのがよくわかる。作者をして、

あまりのきたなさにびっくりして、そのあとも見かけるたびに、いけないものを見るような気持ちでドキドキしました。

とまで書かれてしまっている。でも頭のなかの動きとか、手の動きが見えるようで本当に面白いのだ。身も心もいそがしい!というのがよく表れている。

 

続いて6ページの「とてもていねいな手紙」では、意外な人物が登場している。「たくさんのふしぎ」にこの人が!という感じである。私が小学生だったとして「趣味で覚えた外国語」でここまでの手紙を書けるとはとても思えない。マルチタレントの片鱗はもはや小学生時代に見えていたのだ。

こちらへ来てから何十年たったいまでも、新しい単語を覚えて、毎日漢字の練習をしているそうですよ。

タレント(才能)だけでなく、努力も惜しまない。

子供にも見習わせたいものだ。というか何年も勉強してるのに日本人は英語を使えないとか吠えてる皆さん、ここまで毎日英語を勉強してます(してました)かね?学校の授業だけで外国語を習得できるわけがないのだ。

 

意外といえば8ページ「手書きには、情念がこもるんですよ」にも驚かされた。まさかこの人が現れるとは!知る人にとっては意外でもなんでもない、あまりにも有名な事実かもしれないが。印刷と見紛うばかりにきっちり整えられた字は「毎日新聞明朝 L」のフォントと比べられている。愛用のペン色は「マンダリンオレンジ」だそうだ。「目に飛びこんできて、記憶に残る色」だから使っているという。美しく仕上げられているけれど、ある意味「自分用のメモ」の類なのかもしれない。

 

大人気だった字は今も」では、教科書の字の源流ともいえる人物たちが登場している。確かに書道が盛んだった中高の書道室には、王羲之顔真卿の書が掲げられていた。書道室に出入りするたび目に入るので、うつくしいなあと眺めていたものだ。

 

28ページ「時代をひっぱるおしゃれ文字」。数々の雑誌を手がける新谷雅弘氏が登場している。数々の雑誌、の一つには「たくさんのふしぎ」も含まれている。『いろ いろ いろ いろ(第203号)』の作者でもある人だ。

雑誌『BRUTUS』の「もう本なんか読まない⁉︎(No.494 2002年1月15日)」を持っているが、この表紙そのままの世界が展開されている。表紙のインパクトがすごくて思わず買ってしまった一冊だ。

というかこの号自体、雑誌のような「遊園地みたいにカラフル」さで満載。まあ「ふしぎ」は雑誌そのものなんだけど……。整ったフォントの文章の合間に、手書き文字だの写真だのが盛りだくさんに挟み込まれているだけで、ポップな感じが格段に出る。表紙のシンプルさからは想像もつかないような、ごちゃ混ぜで、それでいてうつくしい世界が広がっているのだ。

 

32〜33ページは「わたしの好きな印刷の字」。私たちも小中の教科書で嫌というほど読んできた「教科書体」だ。紹介される教科書のページは、中川 りえ子作「空いろの たね」。おそらく光村図書の昭和55年度版(昭和55年~昭和57年使用)2年上巻だと思われる。著者ご本人の教科書だろうか?

“「教科書体」の、ここが好き!”という作者の解説は、書痴ならぬ字痴かという感じ、好きというだけあって細かいところまでよく見てるなあと。うっとりするねとかキュートとかボーイッシュとか字に対して使う形容詞なんか!?

もじのカタチ(第305号) 』では、

中学校を卒業する15歳までものあいだ、学校ではこの特殊な学習用文字だけですごしているなんて、ふしぎですね。なんとか子どもたちにも、文字の形のおもしろさを伝えたい気持ちで、この絵本「もじのカタチ」をつくりました。(『もじのカタチ』ふしぎ新聞「作者のことば」より)

とある「この特殊な学習用文字」のことはじめについて書かれるのが、続く34〜35ページ。「教科書体のひみつ」だ。

当たり前すぎて考えもしなかったが、教科書の字というのは子供が書き習う字の「お手本」になるものなのだ。教科書体以前の教科書は「筆で書いた調」の書体が使われていたが、はじめて文字に接する子供にはわかりづらいという欠点があった。読めるは読めるが、お手本とするには書きづらいのだ。筆ではなく鉛筆が使われるようになった時代、筆の運筆に特徴的なハネや曲がり具合を再現した書体は、混乱のもとになってしまう。そこで読みやすく、かつ硬筆で書く手本にもなる書体を作ろうということになった。教科書会社から依頼を受けたのが、書体設計士の橋本和夫氏だ。

活字・写植・フォントのデザインの歴史 - 書体設計士・橋本和夫に聞く 第12回 はじめて“かな”を描く

筆調の書体を改めるのに役に立ったのは、意外なことに書道の心得だったという。教科書体はおもに低学年の教科書で使われるものだ。漢字よりもむしろ平仮名がたくさん使われる。楷書の基本となるかなの勉強は、平仮名のデザインにあたり大いに役立ったという。印刷され一律に整えられた文字も、元は腕を動かし何度も何度も紙に手書きして試行錯誤の上にデザインされたものなのだ。

本書では触れられていないが、教科書もデジタル教材化されつつある今、UDデジタル教科書体という書体も登場している。文字を読むことが困難な子供にも読みやすく、書く上でも形がわかりやすいものを目指して設計されている。

UDデジタル教科書体提供開始 | 株式会社モリサワ

 

最後は、おまけとして「書いてみよう!書いてもらおう!」のページが付いている。

 好きな言葉やメッセージ、自分で書いたり、友だちや家族など、いろんな人に書いてもらいましょう。手書き文字には、書いた時間を閉じ込める力もあります。

ここに誰か一人でも書き込むことで、世界にひとつだけの「たくさんのふしぎ」が完成する。言うなれば本号は、ここが白紙だと未完のままなのだ。いろんな人の「書いた時間を閉じ込める」ことで、はじめて完成する本だ。この仕組みは付録の一枚絵にも仕掛けられているので、本号をお持ちの方はぜひ「完成」させてほしい。

 

今の時期、書き初め、年賀状と手書きが多くなる季節でもある。

手書きの字が伝えてくれるものは、印刷の字の比ではない。その時の感情、その時の状況までも表れてしまう。字は単に書かれたものを伝達するだけのツールではない。その人が字に表れるのならば、子供に、ていねいに書け、読める字で書け、誤読のないように書けいうばかりでなく、お前の字のこういうところが良いね、こういうところが好きだよ、と良き部分を評価して伝えてやるべきなのかもしれない。

美しい日本のくせ字』も読んでみた。

印象に残ったのは、“翻訳文字のレジェンド”大川おさむ氏のインタビュー。『タンタンの冒険』シリーズのセリフ文字を書いた方だ(24巻中15巻まで)。あのセリフ文字、書体かと思っていたら手書きなのだ!

5歳くらいから字が好きで、お風呂のくもったガラスなどに字を書いて遊んでいた大川さん。育英工業高校印刷科で技術を学んだ後、看板屋さんで修業。その後NHK美術センター(当時)で、番組タイトルやテロップに携わる。NHK退職後は広告や週刊誌の字を手がけるなど筋金入りの手書き屋さんなのだ。

大川さんが初めて絵本の仕事をしたのは27歳のとき。『げんきなマドレーヌ』のタイトル文字だ。原著のアルファベットのイメージを大事にすることを心がけたという。そのほか『よあけ』『こぐまのくまくん』『アンガスとねこ』『さむがりやのサンタ』『ねこのオーランドー』『どうながのプレッツェル』など錚々たる絵本を手がけている。

絵本の翻訳文字、なんの気なしに何度となく見てきたが、大川さんというプロの仕事だったのだ。

 文字は道具だから、言葉や思想を伝える役割を果たす。読みやすいものでありたい。食べ物をのせるお皿と一緒で、少しでも美味しそうに見えたらいいなと。字が本に溶け込んで、スパゲティみたいに混ざってくれたら。個性はあまり出さないようにしているけど、とぼけてるとか、僕自身の特徴も出ているかもしれませんね。絵本の文字は、あまりスパイスを効かせず、穏やかな感じにするのがいい。生まれてきて良かったんだ、こんな絵本に出会えて良かったと、子どもが人生を肯定的にとらえられるように。文字も役に立つのかな。(『美しい日本のくせ字』43ページより)

 

もう一つ面白かったのが「ダモ鈴木さんの字ではない」。

こんなとこでダモ鈴木の名前を見るとは!

クイック・ジャパン vol.13』でのインタビューに、CANの「何処へ(Doko E)」の歌詞が手書きで載っていたのを、ダモ鈴木によるものだと思い込んでいたところ、実はまったく別人の字だったというエピソードだ。エピソードより不意に登場したダモ鈴木の方が強烈、しかも本人の字は結局登場しないという、そこだけもやもやした不思議な感じの内容になっている。

美しい日本のくせ字

美しい日本のくせ字

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