こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

カタツムリ 小笠原へ(第366号)

冒頭、東京に住むカタツムリたちの、こんな会話が出てくる。

海のずーっとむこうの島にカタツムリの楽園があるらしいよ

「海のずーっとむこうの島」小笠原はカタツムリだけの楽園ではない。人間にとっても楽園だ。こーんなに美しい海が広がっているのだ!この青だけでも見に行く価値があると思う。

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小笠原に着いて、最初に向かったのは母島。乳房山に登る予定にしていたので、この号で予習してカタツムリをいっぱい見つけるぞーと思っていたのだが……。本に出てくる堺ヶ岳の方でなかったからか、それとも探す「目」を持たないためか、頂上付近で一匹ばかり見つけただけで終わってしまった。

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単にきれいな景色だなーとか、珍しい植物がある!とか感覚的に自然を楽しむのも悪くはないが、その場所に詳しい人と一緒なら、違った目で楽しむことができたかもしれないなあと、ガイドさんを付けなかったことを少し後悔した。

 

父島に帰ってからは、海でのんびり遊んだり、夫と子供はスノーケリングをしたり。私は水に対する恐怖心が強く、長いことカナヅチだったのだが、ここまで来てもやはり、海で泳ぐことはできなかった。しかし、金曜ロードショーの初代オープニング映像もかくやという夕焼けに、帰りたくないな……という気持ちが自然とわき上がってきた。とにかく良いところなのだ、小笠原は。

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そんなこんなで小笠原に魅せられてしまう人は多いらしい。宿のご主人も、子供を連れて一家で移住してきたと話していた。

 

最終日はドルフィンスイムのツアーに参加したのだが……遊泳に良いタイミングで適当な群れに近づくことができず、“イルカとの水中ランデブー”は叶わなかった。もっとも、タイミングが合ったとしても、私が海中にドボンできたとは思えないのだが。

ツアーを終え、帰る道すがら、ツアー会社の人がラジオの気象情報を熱心に聞いている。どうやら台風が近づいてきているらしい。「これだと次のおが丸は欠航になるかもしれない」と言う。欠航になると、スケジュール上、3日はこちらに足止めとなってしまう。

その日の便に乗る、われわれには影響なかったが、ツアーでご一緒したお客さんの中には、次の便で帰ると話している人も多かった。

その後乗り込んだ船の中で、次の便(折り返しの東京発、そして次の父島発)の欠航が決まったという知らせを聞いたのだった。夫は、いいな〜俺ももっと小笠原にいたかったよ〜と嘯いてはいたものの、会社勤めの身にとって、3日のロスというのは痛い話ではある。

船がだんだんと竹芝に近づいてきたころ、周りの景色と海の色に、どんよりとした風情で夫と二人、顔を見合わせることになった。

小笠原はたしかに楽園だが……ここから離れられなくなるかもしれないという力を秘めた、ある意味恐ろしい魔境である。

<2023年8月24日追記>

招かれた天敵 生物多様性が生んだ夢と罠』を読んでいたら、最終章に小笠原のカタツムリの話が出てきた。そこで思い出したのが『カタツムリ 小笠原へ』。

思い出すもなにも、見ればどっちも千葉聡先生が書いたものではないか!全然知らないで読んでいた。

『招かれた天敵』は、単純にいえば人間と「有害生物」とのたたかいを描いたものだ。

「有害生物」とたたかう武器は主に二つ。「化学的防除」と「生物的防除」だ。化学的防除とは殺虫剤などの化学薬剤を使って退治すること。対して生物的防除とは「有害生物」の天敵を利用して退治する手法だ。この本は生物的防除の歴史を中心に、その成功と失敗────描かれるのは主に“失敗”であるが────を描き出したものだ。

化学的防除は、レイチェル・カーソンが警鐘を鳴らしたDDTの印象が強く、環境に対するリスクや危険性が大きいイメージがある。一方で生物的防除は生きものという「自然の力」を借りるので「環境にやさしい」と思われがちだ。

しかし実際には、化学的防除以上の脅威と化して環境を破壊することもあるのだ。

たとえばハブを退治するために導入されたフイリマングースは、ハブを食べるどころか離島の希少な固有種を捕食し絶滅または絶滅寸前にまで追いやる結果になっている。

そもそもカーソンは、DDTその他化学農薬の禁止を求めたわけでも、化学的防除を否定していたわけでもなかった。彼女の本旨は、生物的防除の活用を訴えつつも、それを利用して化学的防除への依存度を下げようということだったのだ。

カーソンが推奨していたのは、あれこれ組み合わせて活用する、つまり一つの方法に依存せず多様な防除法を使うというものだった。だがメディアを通じて主張が広がる過程で、あれこれという単純な二項対立に落とし込まれるようになってゆく。すなわち「DDT 対 生物的防除」とか「DDT 対 自然のバランス」とか。

カーソンは、DDTの大量散布が危険だとか、生物的防除の方が優れているとか以前に、ずっと重要で本質的なメッセージを残しているという。

 第一に、私たちが安全だと思い込んでいるものが、本当は安全だと限らないこと。『沈黙の春』は、安全という神話の裏に、恐るべき危険が潜んでいることを訴える書であった。

 第二に、私たちはまだ自然や生物をよく知らないと、自覚しなければならないこと。「なんでもわかっていると、うぬぼれてはならない……天敵による防除を成功させる決め手は、正確な知識や基礎となる生物学的な裏づけである」────そうカーソンは記している。

 そして第三に、私たちが有害だとみなす生物以外の、さまざまな生物たちの存在と彼らを育む自然を無視してはならないということ。人間中心の価値観から自然中心の価値観への転換である。カーソンはある生態学者のこんな言葉を引用している。

「私たちに残されたかけがえのない、そしてほとんど最後の自然を改変するような、こうした反自然的な行為は、もうやめなければならない」

(『招かれた天敵』19ページより)

本書に描かれる、生物的防除の「成功と失敗の歴史」は、このメッセージの重要性をまざまざと見せつけてくる。

千葉先生自身が歴史の一端の証言者として、最終の第11章に立ち現れてくるのだ。

千葉先生は長年小笠原で固有カタツムリの研究をしてきた。小笠原諸島では、未記載種も含め100種を超える在来カタツムリが記録されており、その9割以上が固有種だ。明治時代の開拓で、うち17%ほどの種が絶滅したと考えられているが、太平洋の他の島々と比べるとかなり保全されている方だという。

小笠原諸島が「世界自然遺産」として登録されたのも、これら陸産貝類の進化の過程がわかる、貴重な証拠が残されていることが高く評価されたからだった。

世界に認められた価値 | 小笠原世界遺産センター

 固有種の代表格はカタマイマイ属で。小笠原群島で適応放散を遂げた20以上の種と多数の地域集団から成る。島ごとに種構成を異にし、兄島に6種、母島とその属島に11種、媒島に2種、そして父島には5種が健在だった。(同383ページより)

父島には5種が健在だった……と過去形なのは、もはや5種のうちほとんどが絶滅してしまったからだ。

陸産貝類の進化と保全

父島のカタマイマイたちを殲滅状態に陥らせたのはニューギニアヤリガタリクウズムシ。『カタツムリ 小笠原へ』でも触れられている。

どこから持ち込まれたのかは定かではないが、このウズムシが最大の脅威だと判明したのち、2000年代半ばから防除作業が本格化してゆく。試行錯誤を重ね必死に作業を繰り返すも、予想外のトラブルに見舞われ防衛ラインが次々突破されていく様に、こちらまで暗澹たる気持ちになった。

こうして父島のカタマイマイ類は、野生下にて絶滅した。(同403ページより)

結果的にウズムシ防除の取組は失敗に終わることになった。千葉先生は実質的な責任は自分にあると考え、失敗の理由を分析している。

第一は知識の不足、第二にリスクを過小評価したこと。そして最後に────生物的防除の可能性を一顧だにしなかったことを挙げている。

そもそもニューギニアヤリガタリクウズムシが父島に渡来する遠因になったのは、その生物的防除の試みのせいなのだ。この試みがなければ、アフリカマイマイの天敵として注目され各地に導入されることがなければ、巡り巡って父島にやってくることもなかった。

しかしそういう失敗例だけをもって、生物的防除の可能性すら拒否してしまうのは、科学的な解決を求める態度としてどうなのか?単なるイデオロギーとか感情的な問題に過ぎないのではないか?と戒めている。

感情的な問題……先生は判断を誤らせた一因をこうも振り返っている。

 おそらく、私が抱いていた野生下へのカタマイマイへの強い愛着と、少しでも広く、多くの集団を守って残さねばならない、という使命感、正義感が、多くの集団を見捨てるのを躊躇させ、判断を誤らせたように思う。(同406ページより)

 

防除が失敗に終わった一方、成果を上げた取り組みもある。

カタマイマイの飼育下繁殖事業だ。小笠原の生態系保全の研究に携わってきた大河内勇先生の要請によるものだ。

万一防除対策がすべて失敗した場合にどうするか。確率は低くとも想定される最悪の事態に対する備えを今の段階からしておかなければならない。(同393ページより)

実は千葉先生はこの提案に反対の立場だった。防除の見込みがあるのだからそこに資源を集中すべきであり、何より人工繁殖を目的とした捕獲には野生絶滅のリスクがある、という理由からだ。しかし環境省から資金を引っ張ってきた大河内先生の要請を断りきれず、やむを得ず計画に着手することになる。

これはまさに、カーソンがすすめていた、あれこれ組み合わせて方策を取るというそのものだ。確かに先生が懸念したように、場合によっては野生絶滅の可能性もあったかもしれない。進化のプロセス自体に価値を認めるのであれば、野生にいてこそという考えもあるだろう。しかし防除一辺倒ですべてを失うよりは、結果的に良かったのかもしれない。

ちなみに、この事業の成功には森英章という研究者の活躍があった。繁殖技術の確立に取り組む一方、保護増殖事業の持続的な展開には父島住民の理解と協力が欠かせないと考え、島民との交流を深め信頼を築いていった。学校教育にも積極的に関わり、子供たちに固有カタツムリの大切さを伝え、次世代につなぐことにも取り組んでいる。現在は世界遺産センターで島民スタッフによる保護増殖が続けられているが、センターの飼育室をガラス張り設計にしたのも森さんだ。保全事業自体を観光資源とし、本土の人たちにその意義を伝えるためだ。

講演3「カタツムリの楽園復活のためのABC」 - YouTube

 さて、父島ではウズムシによって固有カタツムリはことごとく消滅し、野生のカタマイマイ類────進化の歴史と生態系の価値────を守ろうとする努力は失敗に終わった。数百万年に及ぶ進化の歴史は途絶し、場所ごとに適応と多様化を駆動、維持してきた自然の進化プロセスは消滅した。しかしすべてが失われたわけではない。未来に向けて、希望は残されている。おもな系統は救出され、父島の世界遺産センター(図11-6)のほか、東京都の複数の動物園でも分散飼育されているからである。(同410ページより)

だが、ウズムシとのたたかいはまだまだ終わってはいない。ウズムシの防除が功を奏さない限り、結局カタマイマイたちを野生下に戻すことはできないからだ。

千葉先生は“防除失敗”の歴史に自ら名を連ねる一方、最終章は今もなお現在進行形でお話が続いているのだ。失敗への反省から、小笠原では禁じ手とされる生物的防除の可能性をも探ろうとしている。否、先生自身だけではない。読者にも考えさせようとしているのだ。

先生は、第10章まで“防除失敗”の歴史を繰り返し繰り返し読者に示してきた。歴史が問題を解決してくれるわけではないが、問題を解決するために、何を覚悟しなければならないかを教えてくれるからだ。

 本書でおこなった害虫防除の失敗、有益な生物導入の失敗をめぐる歴史の記述は、この世界遺産の島で「人と自然の調和」を実現するための行程のひとつなのである。その実現を阻み、島に欠かせぬ資源を損ねる有害生物の問題について、リスクを許容して解決の可能性を広げるか、それとも解決できる見込みは低いが、リスクも低い今の取り組みを続けるか、それを検討するためのプロセス。つまり読者は、父島の生態系に価値を得て、小笠原の世界自然遺産を守るという“夢”の実現のため、外来天敵を使うことの是非を考えるプロセスに参加しているのである。(同413ページより)

数々の“失敗事例”を見れば、生物的防除の手法は、慎重に進めなければならないことはわかる。たとえそれまでの知識を総動員して分析し、あらゆる手立てを尽くしたとしても、未知のファクターが多い以上、ある意味賭けのようなものにならざるを得ないのだ。それでも可能性を探るべきなのか……。

 もっとも、幸運に期待するなら、いろいろ考えたり情報収集したりする前に、さっさとニューギニアに夢の“天敵”を探しに行く手もあるだろう。「あれこれ考えるより、まず行動」────オーストラリアから、すべての発端となる天敵を招くのに成功したこのアルベルト・ケーベレの哲学は、時と場合によってはじつは成功の秘訣なのかもしれない。あまり信じてはいないが。「成功は失敗の素」だから。(同415ページより)

 

本書を読んでから『カタツムリ 小笠原へ』をあらためて読み直すと、ひとつひとつのことがクリアに見えてくる。父島に対する「これじゃカタツムリの墓場だよ」「昔はここもカタツムリの楽園だったのじゃが……」というセリフの意味や、兄島と母島のカタツムリを比べる意味など。裏表紙見返しで、小笠原のカタツムリたち総勢を紹介する意義も。傑作集では“2019年3月末日現在、121種類”と、本誌発行当時の数字からきちんとアップデートされている。

しかし千葉先生が「その後の楽園」として傑作集に寄せた寄稿には、気がかりなことも書かれている。兄島のカタツムリがクマネズミに次々に捕食され、数を減らしているというのだ。クマネズミはカタツムリに限らず島の固有種保全の悩みの種だ。幅広い動植物に影響を与える「害獣」として知られている。

固有種のカタツムリ激減 小笠原諸島、外来種ネズミが捕食 - 日本経済新聞

小笠原の外来動物対策は今!クマネズミ対策

国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所/外来哺乳類を駆除して、鳥の数を増やす ―世界自然遺産小笠原諸島の自然再生事業の成功と課題―

だが、兄島のカタツムリも父島のときのように救い出され「いまは父島の世界遺産センターで、島の人々の手で大切に飼われている」という。父島のカタツムリの保全事業は、他の島での危機にも対応し、リスクヘッジとして機能することになった。

先生は最後にこう結んでいる。

 もし皆さんが小笠原を訪ねる機会があったら、小笠原の立派な施設の中で頑張っている彼らに、ぜひ会いに行ってみてください。

『招かれた天敵』を読んだおかげで、このメッセージにこめられた思いや、どうして子供たちに向け『カタツムリ 小笠原へ』を描いたのかを深く理解することができた。

カタツムリ 小笠原へ (たくさんのふしぎ傑作集)

カタツムリ 小笠原へ (たくさんのふしぎ傑作集)

  • 作者:千葉 聡
  • 発売日: 2019/05/15
  • メディア: 単行本

特別エッセイ|千葉聡さん『カタツムリ 小笠原へ』|ふくふく本棚|福音館書店公式Webマガジン

このエッセイの質問、

「ところで……、カタマイマイさんのカタって、どうゆう意味ですか? 気になって夜も眠れません」

おそらくカタカタと音を立てて動くところから来てるのかな?35ページにはカタカタ音を立てるカタツムリの様子が描かれている。

(と思ってちょっと調べたら単に殻が硬いからだった……。)

『招かれた天敵』によると、千葉先生が大学院生だった1986年当時、父島の夜明平と呼ばれる台地には、ざわめきのような、無数のひそひそ声のような、どこからともなく湧き上がるような賑わいが林内に溢れていたという。夜の訪れとともに動き出した夥しい数のカタマイマイたちが、足の踏み場もないほど林床に這い出してきていたのだ。賑わいの正体は、彼らが落ち葉を踏みしめたり齧ったり殻をぶつけ合ったりする音だった。

 いま夜明平の森を訪れても、地表や樹上に小さな動物たちの姿を見ることはほとんどない。以前なら、夜はカタマイマイをはじめ、湧き出した無数のカタツムリたちが落葉を踏み締め、齧り、殻をぶつけ合う音で満ち溢れていた。それがいまやなんの音もせず、沈黙だけが森に横たわっている。(『招かれた天敵』404ページより)

カーソンは『沈黙の春』で、鳥たちが死に絶え鳴き声が響かなくなった自然を、

There was no sound; only silence lay over the fields, woods, and marsh.  

(それがいまやなんの音もしなかった。沈黙だけが野原、森、沼地に横たわっていた)

と表現したわけだが、父島の森は本当にカタツムリが死に絶え、彼らの立てる音が消えてしまった。世界遺産センターでの保全飼育は、夜明平に音を取り戻すための取り組みでもあるのだ。

 

<2023年12月21日追記>

kanto.env.go.jp

再導入が開始されるとのニュースを見た。行方を見守っていきたい。