こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

あみださま大修理(第263号)

私は長らく、仏像など寺社仏閣に関わるものを「美術品」としてしか見てこなかった。

変わったのは、子供が生まれてからだ。これまではおざなりに手を合わせ、頭を下げていたものを、真剣に礼拝するようになった。子供が大病や大怪我をすることなく、無事育ちますようにと。

この号のテーマである仏像も、“阿弥陀如来立像”ではない。あみださま、なのだ。

冒頭でも、

あみださまは昔からたくさんの人たちの願いごとを聞いてきました。

と書かれる通り、長い長い年月、地元の人々の信仰を集めてきたほとけさまなのだ。

お話は修理に取りかかる前、あみださまの魂を抜くところから始まる。

その後、修理を手がける工房(羅漢工房)があみださまの身体を分け、仕事場にお運びしていくのだ。修理の過程は慎重かつ細かい作業の連続、本書ではそのていねいな仕事ぶりが余すところなく描かれている。すべてが解体された図は、デザインあNHK Eテレ)の「解散!」コーナーを彷彿とさせる。

木彫仏の解体修理

これらを描く作者の仕事ぶりもまた、ていねいなものだ。作画を担当した牧野氏によると「金箔を金箔らしく描写するのには特に苦労した」らしい。

牧野良幸の出版本 あみださまだいしゅうり

苦労するなら写真でいいじゃないか、と思われるだろう。実際、取材写真を使って構成することもできたはずだ。だが、ここは、絵という形で表現することに意味があるのだと思う。写真では、具体性・個別性が際だってしまう。あみださまを修理に送り出す人の思い、あみださまを修理する人の思い、そして帰ってきたあみださまを迎える人の思いは、このお寺の、この阿弥陀様に関わる人々だけのものではないからだ。日本の、世界の各地で、自分たちの大事にしているものを修理に送り出し、修理する人はその思いを受け止め、また返していくということが行われているはずだからである。

 

たくさんのふしぎ」を企画した松居直は、こう書いている。*1

“もの”の原点を見究め、“もの”にこめられている有形、無形の中身をしることは、“もの”の精神的価値をしることです。その経験なしに“もの”を大切にすることはありえません。“もの”に対して働く豊かな感性が、やがて“ひと”をも大切にする心の働きにつながるのです。

ここには「過剰に演出された」思いは存在しない。人はただ、真剣にそれぞれの仕事に取り組んでいるだけである。それだけで、人の思いは伝わるのだ。

*1:『絵本の現在 子どもの未来』(日本エディタースクール出版部、2004年)、136-137ページ