ちょっと前から子供のブームは、“生物分類”である。
ねーねーアリって何の仲間か知ってるー?ハチ目、つまりハチの仲間なんだよーとか、イロハモミジって前はカエデ科だったけど、今はムクロジ科なんだよーとか。
図鑑を読み込んでは教えてくれるのだが、家事で忙しい最中のこと、いちいち感心して相づちを打つ余裕はない。へーそうなんだーとしか言わない母親相手でも、知識を垂れ流すだけで満足のようだ。
ならばこの号はどうかな、と借りてきたのが『分類ごっこ』だ。
案の定子供の食いつきぶりはすごく、他に借りてきた中からいちばんに選んで読み始めた。
以前「世界まる見え!テレビ特捜部」で、東洋と西洋ではグループ分けの考え方も違う、というトピックを見たことがあるが、分類とは文化そのものなんだなとあらためて思った覚えがある。
ある物の分類の仕方が違えば、抽象化されるものも異なる。
例えば「カレー」ひとつ取ってみても、発祥の地とされるインドには、カレーという料理は存在しないし、日本人がタイカレーと呼んでカレーに分類するタイ料理も、タイにおいてはカレーではない。
この記事のカテゴリも、作者が数学者だからというだけで「算数」に分類したが、「理科」でも良いだろうし「社会」も合わないとはいえない。人によっては「国語」と見る向きもあるだろう。「ふしぎ群島の切手を切り取ってポケットに分類する」という工作がついているので「図工」というのも間違いではない。
作者の森毅は、
グループ分けをしながら文化をそだててきたのは、えらい学者だけではない。きみたちが自分の宝物を机のひきだしにしまうときだって、たいていグループ分けをする。それが、きみたち子どもの文化なのだ。そこから新しい学問が生まれるかもしれない。
と言っているのだが……
「人間は分類する動物である。」なーんてしたり顔で言い出した子供に、分類?お前の机の上も中も下もぐちゃぐちゃだろーが!と毒づきたくなった私自身、そういえば通知表の「身の回りの整理整頓をする」で“もう少し”がついたこともあったなーと思い出して遠い目になった。