こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

世界一の展覧会(第191号)

この本は、

「美術館の作品を使って、展覧会を自由に考えてつくりましょう」

という実際にあったワークショップを元に作られている。

参加者は学校も別々の子供たち26人。子供たちは4つのグループに分かれ、それぞれ1つずつ展覧会を作る。グループにはリーダー役の大人がそれぞれ2人ずつ付き、アドバイスをもらいながら、世田谷美術館の収蔵作品の中から「絵を選ぶ」ところから始まる。そして、

  • 「展覧会のテーマを作る」
  • 「宣伝のポスターなどのデザインを考える」
  • 「作品の展示を考える」
  • 「会場のデザインを考える」
  • 「展示作業*1

に至るまで、子供たち自身の手で展覧会を作り上げていくのだ。

“本物”を使って、“展覧会ごっこ”ができるとは、なんて贅沢な試みだろう。しかもただのごっこ遊びではない。実際に一般のお客さんが入る、本物の展覧会なのだ。作品も本物なら、仕事も本物、そして展覧会も本物。

「本物」を体験することを通して、子供たちは「大人の仕事」というものを学ぶ。良い経験になったのではないだろうか……というのは、大人(私)の考え。実のところそんなちゃっちい思惑など、どうでもいいことなのかもしれない。ただただ目の前の作業に真剣に取り組み、全力で考え、時には壁にぶつかり、ついにオープニングにまでこぎつけた時の喜びは、何にも代え難いものだっただろうから。

“本物”であることで、サポートする大人の真剣さも違ってくる。そんな大人の態度が、子供たちにも伝わり、よりよいものを作りたいという気持ちを高めていくのだろう。自分たちにも大人の仕事ができた、自分たちの仕事が人の役にも立った、他の人を喜ばせる仕事をすることができた……そんな喜びや楽しみがあってこそ「仕事の責任」というものを感じることができるのではないだろうか?

しかし、この号の著者の思いは、そんな「仕事の責任」など軽く飛び越え、ただ「美術館を使って遊んでほしい」というものであるらしい。

美術館の普及活動と美術教育(世田谷美術館)――高橋直裕インタヴュー

“私のやってる普及活動というのは美術教育ではないんです。美術館教育でもない。あくまで普及活動なんです。”

子供というとつい、教育とか将来のためとか結びつけてしまうが、教育的な臭いを嗅ぎとると子供は離れていきますからね”ということなのだ。

人間の本質は「遊び」にある、とはホイジンガの言葉だ。

4つのグループのうちD班の作った「天才ジャチルダの生き方」と題された展覧会。最初の絵のキャプション*2

ぼくのパパは「ジャーキー」といって、連続殺人犯でけいむ所に入れられたことが何回もある人で、ママは「マチルダ」といって、元ふりょう女子高生で、変わった夫婦と言って近所の評判です。

を見直してみたら、「大人の仕事」とか「仕事の責任」とかいう言葉をぐだぐだ並べていたのがアホらしく思えてきた。子供は子供らしく、美術館というフィールドで楽しく遊んでいただけじゃないか。仕事とかいう言葉はやはり似合わない。

ちなみに、このキャプションが付けられた絵はカルロ・ツィネッリの「無題」という作品。アール・ブリュットアウトサイダー・アート)に分類される美術家だ。世田谷美術館には素朴派とよばれる、画業を生業としなかった美術家の作品コレクションがあるし、1993年には「パラレル・ヴィジョン」というアウトサイダー・アートを本格的に紹介した展覧会を開いている

子供も、そして素朴派やアール・ブリュットなど「正規の美術教育を受けることなく作品を作り出してきたアーティスト」も、美術館の外(アウトサイド)に置かれてきた。『世界一の展覧会』はその両者を、美術館の中で結びつけたという点で、興味深く面白い試みだったともいえる。

*1:作業そのものは専門の人が行っている。展示位置の指示などを子供たちがする。

*2:1つ1つの展覧会は、選んだ十枚くらいの絵を元に、子供たちが考えたストーリーを付けて構成されている。