こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

海べをはしる人車鉄道(第261号)

子供が鉄“道”を邁進していた頃、本号の作者、横溝英一氏の本には大変お世話になった。福音館から出ている本はすべて読んでいるし、小峰書店の本もほとんどを読んでやっている。横溝氏の描く線や色づかいは、きちっとしていながらも温かみがある感じで、読んでいてとても心地が良い。

人車鉄道?人力で走る鉄道なのだろうか?と、タイトルだけでは想像がつかなかったが、読み進めていくうちに、どうして人力なのかがわかってきた。

かつて東海道本線は、今の御殿場線を通るルートが使われていた(『御殿場線ものがたり (たくさんのふしぎ傑作集) (第12号)』)。そのため、小田原や箱根、湯河原、熱海などの海沿いの温泉地は鉄道から取り残されてしまっていた。国府津から小田原経由で箱根湯本までは、馬車鉄道が開通したので、東京から小田原まで何とか鉄道で行けるようになった。問題は小田原から先、熱海までの海沿いだ。鉄路を敷くにも困難な場所が多い。そこで、レール幅が小さく、狭い道や急なカーブでも簡単に敷くことができる、人車鉄道を走らせることになった。こうして1896年、小田原と熱海をむすぶ「豆相人車鉄道」が開通。人が歩くスピードと同じなので、当時、小田原ー熱海間は4時間以上もかかったということだ。

1964年、東海道新幹線が開通した後のことを、作者はこう書いている。 

 自分の足で歩いた時代にはじまって、人力車や馬車がはしった時代、馬車鉄道、人車鉄道、軽便鉄道、そして東海道本線へ。熱海へむかう海べの道の交通は、新幹線がはしる現代までのあいだに、ずいぶん変わってきました。小田原から人車鉄道で4時間以上もかかった熱海が、今ではたった10分でこられるようになったのです。

 しかし、人車鉄道の窓からながめた美しい景色や青い海は、新幹線からほとんど見えません。まっすぐな長いトンネルがいくつもつくられ、新幹線はそこを時速200キロメートルをこえるスピードで、あっというまにかけ抜けていきます。

この号の表紙を広げてみると、当時の車窓から見えたであろう、海辺の風景がぱあっと広がってとても楽しい。

作者は、人車鉄道を描くにあたり、鉄道だけでなく、当時の人々の服装や建物の構造にいたるまで、広範囲のことを調べる必要に駆られたそうだ。かなり手に余ることだったらしく、「作者のことば」には、何度後悔したかわかりませんでした、と書かれている。

付録「ふしぎ新聞」の、読者からのおたよりには、『ぼくは少年鉄道員 (たくさんのふしぎ傑作集) (第242号)』の主人公、クラウスに会いにいったという、オランダ在住の女の子からの報告が写真付きで載っていて、とても驚いた。また『土の色って、どんな色? (たくさんのふしぎ傑作集)(第252号)』を読んで、『土のコレクション』を知った東京都在住の男の子は、自分が集めた土で絵の具を作って、絵を描いたものを送ってきていた。「たくさんのふしぎ」を読んだ子供たちが、本に出てきた場所へ出かけたり、本に出てきたことを自分もやってみたりする様子に、こちらもうれしくなった。