シンプルなタイトルが、作者の矜持を感じさせる……と一瞬思ったが、どちらかというと「空をとぶ」喜びを素直に表現しただけなのかもしれない。
作者の鐘尾みや子氏は『お嬢さん、空を飛ぶ-草創期の飛行機を巡る物語』によると、
空を飛びたいという思いは12歳のころから抱き、職業パイロットを夢見たが、当時は女性がエアラインの機長や自衛隊のパイロットになる道は開かれていなかった。東京農工大で繊維高分子工学を学び、国家公務員の上級試験を受けて特許庁へ入庁した。当時、1時間あたりの飛行訓練料金は、入庁したての鐘尾さんの月給の4分の1ほどだった。何より、社会人になってみると仕事を覚えるのが第一で、夢を実現しようとする余裕はなかった。けれども、結婚して子どもが生まれ、ふと気づくと30歳が目前に迫っていた。「体力的にも今始めなければ間に合わない」と思い立ち、飛行機操縦を習い始めた。(『お嬢さん、空を飛ぶ-草創期の飛行機を巡る物語』280ページより)
ということで、ある時、東京郊外の飛行場に突然思い立って出かけることになる。そこで「飛行クラブ」という看板を見た彼女は、飛行機の操縦を習いたいと門を叩くことになるのだ。
本号では、飛行訓練の様子やその時の気持ちが率直に語られる一方、「飛行機のおもな部分の名前」や「飛行機のしせいをかえるには」に始まり、飛行技術や航法に必要な道具まで詳しく書かれていて、彼女の飛行に対する熱意がひしひしと伝わってくる。
しかし『お嬢さん、空を飛ぶ』によると、飛行に対する思いは、
ずっと抱き続けてきた空への憧れは、18年間けっして誰にも話さなかったという。「自分にとって、とても大事な夢だったから、ずっと誰にも話したくなかったんです」 (同280ページより)
と秘めた望みであったようだ。1949年生まれの女性にとって、空を飛びたいという願いは口にすることすら難しい時代だっただろう。フルタイムで仕事をし、家庭を持ち、子育て真っ最中の時に、夢を追う決心をする彼女の精神力は私の想像の埒外にある。事故の可能性も考えないことはなかっただろうが、長年の夢への思いの方がはるかに強かったのだろう。30手前という脂が乗り切るか乗り切らないかという時期だからこそできたのだろうか?
練習は毎週土曜日の午後だけだった。朝、子どもを保育所へ預け、半日仕事をした後、飛行場へ行って訓練を受け、保育時間の終わる午後7時までに子どもを迎えに行くという厳しいスケジュールである。長年の夢をかなえようと頑張る姿を見て、夫も協力してくれた。(同280ページより)
その後、鐘尾氏は、飛行機の自家用操縦士に加え、事業用操縦士の免許、グライダーの自家用、事業用免許教育証明などを次々に取り、曲技飛行まで楽しんでいる。
職業として飛べなかったのは、もしかしたら、かえって良かったことなのかもしれない。ご本人の気持ちはどうあれ、飛行を仕事としていたら、ここまで自由に飛ぶことを楽しみ、空で遊ぶことができていたかなと思うのだ。

月刊 たくさんのふしぎ 「かがくのとも」小学生版 <1986年10月号(通巻19号)> 空をとぶ
- 作者:鐘尾みや子 文 太田國廣 絵
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- 作者: 松村由利子
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