こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

街は生きている(第340号)

この本について的確に説明するのは、なかなか難儀なので福音館の内容紹介から引用してみる。

街は、毎分、毎秒、変わり続けている。いつもわたる横断歩道の信号機の黄色いスイッチのケースも。駐車場にある真っ赤な自動販売機も。川沿いの階段横の壁も。僕らが気付かないだけ。僕らの生活につながりながら、太陽に照らされ雨や風にさらされ、変わり続けている街の一瞬一瞬を、街の息づかいとともに写真で紹介します。

 

「生きている」というタイトルを、良い意味でも悪い意味でも裏切る絵本だと思う。

良い意味でというのは「作者のことば」にある、

森や湖を見るように街を観察してみると、街の細部が生き物の皮膚や細胞のようにダイナミックに変化していることに気づいたのです。

という言葉になるほど、とうなずけるような写真絵本になっているからだ。街の細部のクローズアップ写真を皮膚や細胞と捉えると、確かに生き物として見ることができる。

しかし、皮膚組織や細胞の写真が「生きている」という生々しさからは遠ざかるように、このようなクローズアップ写真も「生きている」という感覚からは遠いところにある。本号の英題は"The City Breathes And Ages"となっているが、"age"はともかく"breath"を感じることは難しい。物質の劣化には酸化も含まれるから、呼吸というのもあながち間違いではないのかもしれないが……。

抽象絵画を連想させるような写真としては、アンドレアス・グルスキーの作品があるが、圧倒的な質量で押してくるということを差し引いても、こちらの方が有機的な生々しさを感じ取ることができる。

 

タイトルから連想されることをぐだぐだ書いてしまったが、内容や写真はとても素晴らしいものだ。こういう本は、ともすればクローズアップ写真だけを載せて、抽象芸術のような本にしてしまいがちだ。となりに、切り取られる前の全景を載せることで、ちゃんと子供が楽しめる「たくさんのふしぎ」になっている。子供が自分で見つけて撮ってみようと思えば、すぐにでもできることなのだ。かえって子供の目線と時間感覚がなければ、なかなか見つけられないものかもしれない。

現に作者も、下記のようなコンセプトで本を作ったと解説している。

 この本を作るにあたって、これまでずっと暮らしてきた区内を中心に自宅から自転車で行ける範囲だけで撮影することに決めました。できる限りすべての路地を通るために一日五十キロ近く走り回ることもありましたが、自分が生まれ育った場所を見直すいい経験になりました。

大のおとなが、自販機やコインパーキングの片隅で何やら接写するというのは、かなり怪しまれる行為だったに違いない。自宅近辺、生まれ育った場所ということだから、知り合いに出くわしてもおかしくない。私なら、なんか変なことやってるの見られたらどうしようって思ってしまうかもしれない。作者曰く「問題は、誰にどのように見られるかではなく、自分がどのように見るか」にあるのだとしても。

街は生きている (月刊 たくさんのふしぎ 2013年 07月号)

街は生きている (月刊 たくさんのふしぎ 2013年 07月号)