これは「虹の科学」ではなく、いわば「虹の芸術」の本だ。
昔の西洋や中国などでも、虹は神話や伝説、絵画や彫刻の題材として取り上げられてきたが、なぜか日本では、虹の絵さえ、中世になるまでほとんど描かれなかったという。
確かに、西洋画では何度も見たことがあるし、神話や伝説についても物語を読んだことがある。1991年に開かれたミレー展*1で見た《春》は、虹が効果的に描かれて大好きな絵の1つだし、最近ではバルテュス展*2で見た《地中海の猫》という絵の中の虹が印象的だった。
日本で虹が描かれづらかった理由として、作者は次のように推測している。
昔の日本の絵では、きまったかたちをもたず次々と姿を変えていくもの、たとえば雲や煙といったものを、目に映るままに自由に描くことがありませんでした。それらが描かれるときには、ある特別なイメージがこめられることが多かったのです。
雲は、たとえば乗り物として、風神や雷神ばかりでないさまざまな神や仏たちといっしょにあらわれるものでしたし、煙は、亡くなった人をよび起こすものでもありました。
しかし日本には、ギリシャ神話やノアの大洪水のような、だれもが知っていて絵にも描かれる虹の話がありませんでした。虹に重ね合わせる神話や伝説をもたなかったことが、虹を描くことをむずかしくした大きな理由であったと考えられます。
江戸時代になると、たくさんの虹が描かれるようになってきた。自然をありのままに描けるようになり、虹もただ目の前に見える虹として、自然のままにとらえられるようになったから、ということらしい。虹と同じく、それまで絵の中にほとんど表れなかった「影」というものが、多く描かれるようになったのも江戸時代から。幻灯が大流行し、光と影のつくる揺れ動く像を、描かれた絵と同じように楽しめるようになったことが、人々の感覚の変化を促したのだろうという。
先日は、山梨県立美術館で「夜の画家たち –蝋燭の光とテネブリスム-」展を見たが、やはり「日本絵画の歴史において、明暗表現を意識するのは江戸時代から」ということ。光(と影)を描くことがなかった頃に、光を母とする虹が描かれなかったのは当然のことかもしれない。
あれほど美しく、見れば感動すら覚える虹を、なぜ昔の日本では取り上げてこなかったのか……。本当に不思議なことである。
月刊たくさんのふしぎ2005年11月号虹をみつけに (月刊たくさんのふしぎ, 248)
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