こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

線とあそぼう(第382号)

線は、いつから「字」になるのだろう。

小学校入学前に子供が書いた字が残っているが、それは字というより、拙い線を組み合わせて作った記号や図形といった風体なのだ。今どきにしては珍しく、子供はお勉強のようなものを一切しない幼稚園にいて、親もあえては教えなかったので、入学直前に至っても自分の名前すら、一部鏡文字で綴る始末だった。親であるわれわれには、入学前に読み書きをしっかり身に付けさせていた祖父母たちは、本当に大丈夫かと心配していたが、結局1年生が終わる頃には漢字まで書けるようになっていたのだから、学校というのはすごいところである。

3年生になった今も、きれいとはいえない字を書いてはいるが、いくら汚くてもそれは図形でなく「字」なのだ。たとえば、私は韓国語の文字をまったく知らないが、ハングル文字をいくらきれいに真似して綴ったところで「板に付かない」ものになることは、明らかであろう。意味のある言葉を書ける、というところに至って初めて線は「字」になるのだと思う。

字に限らず、人間の引く線というものは、たいがい「意味のある」もしくは「意味を作る」ものであることが、本書を読むと実感できる。学生時代、山サークルに所属していたので、ときどき山登りに出かけていたが、当時はラジオを持参して山で天気図を書いていた。ラジオに耳を傾けながら数字をメモに取り、天気用紙に書き込んでゆく。気圧の数字を見ながら等圧線を引いていって、初めて天気図が完成した時には、ちょっとだけ感動したものだ。書けるだけではダメで、それを見て予報ができなければ意味がないとはいえ、山での天気の変化は生死にも関わることなので、天気図を書くこと…前線や等圧線を引くことは、その足がかりとして大きな意味を持つ。

しかし、本書のタイトルは『線と"あそぼう“』だ。この本の中で、線とあそぶ最たるものと言えば、星座の線だろう。はくちょう座などは、ああ白鳥ねと納得もしやすい形であるが、こいぬ座など、え、これが小犬なんですか?と、形だけではちょっとわからないもので、まわりの星座も含めた物語を展開しないと、なかなか難しい線である。大むかしの人々が作り上げた空想の線が、今でも現役で生き残っているというのは、よく考えると驚くべきことだ。

線とあそんでいる番組といえば、ピタゴラスイッチが真っ先に思い浮かぶ。「10本アニメ」に「ポキポキアニメ」はそのまんま線を使った遊びだし、「フレーミー」や「ぼてじん」などもその内に入れることができるだろう。

「作者のことば」でも言及があったが、絵本『ぼくのかえりみち』を引くまでもなく、道路の白線から出たらアウトという見立て遊びは、昔もそして今も定番の空想あそびだ。

 

かつては手紙(字)、そして電話(電話線)、電子メール(Internet=網)ときて、今や恋人たちをつなぐのはそのものずばり、LINE(線)だろうか。見えない「線」を通してつながり合った二人が、家系図という線でつながれる(家族になる)、そこからまた子供という線がつながっていく…『線とあそぼう』は一見軽やかな作りの本だが、見えるそして見えないものも含め、線というものが、私たちの生活の中に無限に広がっていることを感じさせてくれる。

Love is on line, love is on line
心はもう通いあってる
Love is on line, love is on line
二人は蜘蛛の糸を渡る夜露さ

キリンジ「Love is on line」アルバム『DODECAGON』より

線とあそぼう (月刊たくさんのふしぎ2017年1月号)

線とあそぼう (月刊たくさんのふしぎ2017年1月号)