「はてなし世界の入口」として、いちばん始めに登場するのがマトリョーシカ。このマトリョーシカについて何気なく調べてみたら、沼田元氣氏の名前が出てきたのに驚いた。盆栽小僧の松ちゃんはマトリョーシカ(或はこけし)になっていたのだ!
驚くべきことに、オーダーメイドのマトリョーシカやこけしを作って販売するところまである。
さらにさらに驚くべきことに、通販会社の千趣会はもともと、“OL向けのこけし販売から事業を開始、社名も「こけし千体趣味蒐集の会」を略したもの”だったなんて、マトリョーシカやこけしが一部世間でこんなに愛されているものだなんて、ぜんぜん知らなかった。
初っ端からこけしの世界に行ってしまったが「はてなし世界」の話にもどると、目に見える身近なものとしては、合わせ鏡に映し出された世界、
どこまでも、どこまでもつづく鏡のなかの世界、はてなし世界の入口。
がある。子供の頃、母親の三面鏡付きドレッサーに顔を挟んでよく遊んだものだった。無限に広がる顔の数々に、どこまで続いているのだろうと気が遠くなるばかり。目を凝らしてみても、その果てはとても見通せそうになかった。合わせ鏡でこれだから、江戸川乱歩の「鏡地獄」はどんな世界なのだろう?
算数の勉強が進めば、兆より大きな数の単位は?それよりもっと大きな数の単位は?それよりもっともっと……。無量大数なんて言葉はすぐ覚えたけれど、どのくらい大きな数なのかなんて全く意識に上らないのだから、算数(数学)の成績はお察しである。兆の後、京からの単位も覚えないままだったが、唯一「那由他」だけは『那由他』で覚えたものだ。ちなみに、グーグルが始まった当時、ああグーゴルプレックスから取ったんだな、うまいなーと思ったものだが、スペルミスで"Google"になったことを今さらながら知って驚いた。
本書の最後は、
人間のそうぞうの力にも、はてがない。そしてだんだんと、無限の世界へ人間がはいっていけるようになった。ふしぎな、無限の世界へ。
という言葉で締められているが、人間は有限の存在であるからこそ、無限の世界を夢見るのかもしれない。そして、有限の存在ではあるけれども、私(と夫)がいて、私(と夫)の両親がいて、そして私(と夫)の両親のそのまた両親がいて……と、果てしないように思われる生命のリレーの果てに、自分たちの子供が存在しているということの不思議に、無限の世界の一片を感じ取ることはできるのだ。

- 作者: 森毅,木幡寛,タイガー立石
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 1990/10
- メディア: 大型本
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