こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

いちくんと古太鼓(第379号)

飯野和好の絵は、あくが強すぎる。正直なところ、大好きとは言いがたい。

それでも名作『あのときすきになったよ』や『おならうた』は、好きな作品のひとつだ。『あのときすきになったよ』など、飯野氏以外の絵は考えられない。

一方で『まのいいりょうし』の方は、いまいち“まのよさ”が伝わりづらい感じがする。勢いのある絵は、盛り上がりのあるお話との相乗効果で決して悪くはないのだが。「普段どおりの狩りに出る話から始まって、長者の娘と結婚する結末」より「息子の七つの祝いのために出た猟の話から始まって、思わぬ大猟を周りの皆に振る舞って大団円」という、正統派昔話の赤羽・瀬田バージョンのまのいいりょうし』を推したくなる。

 

そしてこの『いちくんと古太鼓』。

お話は、

いちくんはぼんやりするのがだいすきです。

という一節から始まる。

特別盛り上がるような出来事はないのだが、ゆったりした時間とふしぎな雰囲気で満たされている。

ぼんやりするのがだいすき……

現在、子供は絶賛登校しぶり中。

朝の授業開始前に学校へ到着することができない。教室に入れないこともときどきあって、図書室や保健室で過ごすこともある。親としては本当につらい。いつになったらきちんと登校して授業を受けられるようになるのか?完全不登校状態に移行してしまうのではないか?平日の朝は不安でいっぱい、だらだら過ごす子供を見るたび胃がキリキリと痛む。

もちろん子供の方がつらいということ、私と同じようにそれ以上に、不安を感じていることはわかっている。しかし、はっきりした原因もわからず、ただ学校へ行きたがらない、行ったとしても授業を受けられない、そんな子供をまだ受け入れられないのだ。

子供に今必要なのは、ぼんやりすること、ゆっくりすること、なのだろう。

一生のうちのほんのひと時、こんな時間があってもいいじゃないか。

これまで子供なりに一生懸命頑張ってきたんだから、ちょっと一休みでいいじゃないか。

そう考えつつも不安に揺れる。

土手と石と桑の木は踊りはじめました

ドンドコドンドコドンドコドーンンン

子供に今必要なのは、不思議な空想の中で、自分の世界を見つめることなのかもしれない。