本書は「作者のことば」によると、
龍は空想動物ですが、生きているがごとく東西の世界にいます。
その龍を見るために、中国からヨーロッパまでの大きな拡がりの中に旅立ちました。
ということで、古今東西の龍を求めて旅をし、写真を集めたもの。
龍を見つけるたびに、その熱情がさめないうちに、編集部のT氏にはがきを出しました。
その数は百通は下らなかったと思います。
そうぜざるを得なかったのは、実体のない龍をどう捉えるか、その不安にいつもおびえていたためです。
当時は電子メールもなく、通信はハガキというアナログの手段。しかもフィルムカメラしかないので、撮った画像は現像しないと確認できない時代だ。電子メールで瞬時に送れる今と異なり、タイムラグが大きい時代のやり取りはどんなだったのだろうと面白く思った。
どうせ写真は後出しになるのだから、「熱情」の方も書きためてまとめて渡せばいいではないか。しかし、作者には取りあえず吐き出して送るという作業が必要だったのだろう。
私は「龍をおう旅」はしたことがないが、これまで撮りためた写真を探ってみると、案外龍が写っていたりする。「過去に撮った龍をおう」作業についつい没頭してしまった。
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昇竜洞(鍾乳洞の名前には竜が付くものが割とある) |
タンロン遺跡・端門 |
タンロン遺跡・「敬天殿」の龍の手すりの石階段 |
蓮池潭の龍虎塔
長崎は、おくんちで龍踊り(『みんなで龍になる 長崎の龍踊り体験(第395号)』)が奉納されるように、龍との縁が深い。
タンロン遺跡のタンロンは「昇龍(ハノイの旧称)」と記されるので、龍の造形物が見られるのは必然といえる。
台湾は中国とルーツが共通するところがある。中国においてプラスの側面をもって象徴される龍をモチーフにしたものが多く見られるのは、やはり当然のことだろう。
中国文化の影響を多かれ少なかれ受けている国々が、龍を神聖あるいはそれに近い存在として看做し造形されてきたのに対し、西洋文化のドラゴンは退治されるべき存在、征服されるべき者の象徴として扱われてきた。聖人にやっつけられる哀れなドラゴンは、上の写真で見られるような中心に据えられたシンボルとしての龍ではなく、あくまで醜く忌み嫌われるべき存在なのだ。
本書では、この違いについて「龍にたいする考えかたや思いはちがっていても、共通していることがあります。それは龍は強いものだという考えです」と書かれている。確かに強いものだからこそ恐れられるわけで、その結果として敬われもし、嫌われもするものだということがよくわかる。
日本の龍は、京都の祇園祭の山鉾を飾る織物の龍について、ちょっとだけ書かれているのみ。ウィキペディアを見ると、中国や仏教からの影響を受けつつも、各地の民話や伝説の中に息づいていることがわかる。日本画の画題としても数多く描かれている。夫がいちばん好きなのは芦雪の「龍図」。実際無量寺で見たことがあるが、迫力ある画だった。私が好きなのは「栄西と建仁寺」展で見た海北友松の「雲龍図」。八面をいっぱいに使った襖絵は圧巻だった。