こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

10才のとき (たくさんのふしぎ傑作集) (第73号)

福永祐一ダービージョッキーになった。

ウィニングラン上で涙をこらえる様子を見て、そういえばこの人も偉大な父栄光に影響を受けざるを得ない人だったなあと思い出した。勝利ジョッキーインタビューで、お父さんにいい報告ができますね、みたいなことを言われていたが、福永家の悲願でしたからと感極まった様子で答えていたのが印象的だった。その道で結果を残してきたベテランの男が、勝利の喜びを初々しい感じで「初めて」と繰り返す様に、やはり別格のレースなんだなあと改めて思った。

福永祐一がジョッキーを目指すことを決めたのは、中学2年から3年にかけての時期だったという。

もっと早い時期に決めてたのかなあと、この『10才のとき』に絡めて書こうと目論んでいたが意外だった。騎手になるには中学卒業後すぐ競馬学校というルートが一般的、早い時期から意識しないと就けない仕事だからだ。

10才のとき、福永祐一は一体何をしていたのか?

サッカーをしていた。「結局、小学3年から中学を卒業するまで、サッカーに明け暮れる日々が続いた」という。彼は「祐言実行」というコラムの【祐一History】シリーズで、子供時代のことを書いているが、繰り返し出てくるのが「競馬には全然興味がなかった」という言葉。祖父に「騎手にならへんのか?」と聞かれ「なりたない!」と答える始末。小2のとき「近所の親戚のお兄ちゃん(後に調教助手となる)に憧れて」地元の公立小から私立小に転校するものの、そこには「同級生に競馬関係者の子はひとりもいなかった」という。無意識に「競馬の世界」を遠ざけていたのかなあと想像した。

ともあれ、騎手の道に進むと決めた祐一に対し、母は猛反対する。

当然だ。夫と実弟までもが落馬事故で再起不能に陥っているのだから。ただ「その時点でも、まだ競馬には全然興味がなかったし、どうしても騎手になりたい!というほどの強い気持ちもなかったけれど、なれる可能性があるのにチャレンジしなかったら、あとになって絶対に後悔することだけはわかっていた」と振り返っている。周囲を顧みることなく、自分の欲望だけをもって突き進むというのは、いつの時代も若者の特権なのだろうか。

福永祐一が今日「福永家の悲願」と表現した「福永家」には、父洋一だけではなく母も、もちろん自身の妻子も含まれるだろうが、このコラムを読むと祖父母、特に祖父への思いがあるのだろうなと感じる。家族の中で唯一、始めから騎手になることを望み、祐一を応援していたのが祖父だ。長年にわたって洋一のリハビリに尽力するのみならず、デビュー当時の祐一のために、レース映像をずっと録りためておいてくれたという。

私は競馬にドラマを見るのはそれほど好きではない。競馬はあくまでギャンブルの一つ。本質は「馬鹿だなオレは。お馬で人生アウト。ごめんなさい。マヌケより。ほんとにすみません。くたびれました(注:かつて中山競馬場で自殺した男の遺書)」だと思うからだ。それでもこの「ドラマ」にはウルっと来るものがあった。まあ馬券すら買わない私は、それこそドラマしかみてないわけだけど。

 

『10才のとき』は、1990年当時、日本のさまざまな場所に住む、さまざまな年齢の7人に、彼らの“10才のとき”を尋ねて歩いたものだ。

最初に登場する横浜生まれの「斎藤雷太郎さん」の話には、奇しくも根岸競馬場が出てくる。根岸の競馬シーズンは春と秋の年2回だけ。その他の時期はゴルフ場として使われていたが、雷太郎氏を始め貧しい子供たちはひそかに潜り込み、球拾いなどのアルバイトをしていたという。

1903年(明治36年)生まれの斎藤さんは、1913年(大正2年)に10才になった。貧しい父子家庭で育った彼は、10才の時点で小学校にも通えなくなってしまう。出奔して製糸を営む知人の元に転がり込み、住み込みで親子ともども働くことになったのだ。子供が、勉強をさておき、お金を稼がなければならない家庭というのは今や遠い外国の話のようだが、つい100年ほど前の日本にも、同じような話が転がっていたのだ。

コウテイペンギン撮影記(第201号)』では『10才のとき』に寄せられたおたよりを紹介した。「ここに紹介されている、この方たち」のなかには、すでに亡くなられた方もいらっしゃるだろう。

斎藤雷太郎氏も鬼籍に入ったお一人かもしれない。斎藤さんは“長い人生、ずっと勉強が好き。4年生で中退したからかな。”との言葉を残している。他の6人の聞き書きでも思ったが、10才のときの経験であっても、その後の人生に少なからず影響を与えているのだ。

あいにく私は、自分の10才のときをあまり覚えていない。好きだった男の子、嫌いな先生、親とのケンカ……細切れに思い浮かぶくらいだ。みんなこんなに詳しく覚えているものなんだなあと不思議に思ったが、高橋幸子校腸の聞き出し方が上手だからかもしれない。

家の息子ももうすぐ10才だ。彼の10才はどんな「10才のとき」になるのか。それが人生にどんな影響を与えるのか。楽しみでもあり怖くもある。親としては願わくば幸せな気持ちで思い出せる10才であるように、と祈るほかはない。

たとえ10才のとき、悲しい思い、つらい経験をしていたとしても、ちゃんと大人になり人生を生きている。『10才のとき』で、7人の“大人たち”はそのことを教えてくれている。お馬で人生アウトはダメだけどね。