こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

くりばやし(第404号)

くりばやし、は栗林だ。

農林水産省は、人工的なものを林、自然にできたものを森と定めているらしい。

『くりばやし』の木は、人が果実を採るために植えているから、まさに林なのだ。

表紙の木を見れば、等間隔にリズムよく並んでいる。自然の中で同じ種類の木が、等間隔に生えることは決してない。この不自然さこそが『くりばやし』の美しさを生み出しているのだ。

幾何学的な美しさというのではない。同じものが規則正しく並んでいる様は、確かに気持ちのよいものだが、見ていると逆に個々の違いが際立ってくる。同じように見えて、ひとつとして同じ木はないことがわかる。

何だか学校のようにも思えてくる。整列した児童たち。同じような年代だけれども、背の高さが違えば、枝の付きぶりも違う。春、一斉に芽吹いて葉を繁らせるけれども、旺盛に枝や葉を伸ばす木もあれば、こじんまりとまとまっているものもある。花や実のでき具合が違えば、葉を落としきるタイミングも少しずつ違う。

収穫という目的からすると、大粒で食味がよい実を多くつける木が優秀ということになる。しかし、作者の目はそこにはない。どの栗も「価値」は等しいのだ。どの木も同じではない、かけがえがないということで、皆等しいのだ。「作者のことば」では、

「林」と「森」、違いはあってもどちらにも数えきれない、同じではないものがいっぱいある、と言いたいのです。たくさんあることは希望につながると思います。これだけしかないよ、というよりも「いっぱい」や「たくさん」には複雑ですぐには分からないことがあふれているから、そこには夢があると思いませんか。

と述べられている。

こんな頭で考えた感想も出てくるけれども、この号を手にとって読む人の多くは、そのまま樹々の写真の美しさに心を動かされると思う。私もそうだ。季節とともに変化する木の様子にただただ無心に見入ってしまう。冬の朝、雪の上にたたずむ様子は、何ともいえない静謐な美しさにあふれている。こちらも良いが、グッと来たのは夏の日の夜の様子。「昼間はもちろん、夜の間にも木は大きくなります。」というキャプションと共に、薄暗い中に立つ様子が写されている。夜も成長する、というのは思ってもみなかったところだ。見開き左ページでの昼間の様子との対比も効いている。真夏の太陽をたっぷり浴びて生命力をみなぎらせる木は、夜も静かに寝ているように見えて、ぐんぐん大きくなろうとしているのだ。

観察一年目、実は熟さないまま落ちてしまっていたが、二年目の秋、木の下には爆ぜたイガと実が転がっていた。桃栗三年とは言われることだが、秋の日に照らされつやつやと光る実が愛らしい。

たくさんのふしぎ」らしい、素晴らしい絵本だった。

くりばやし (月刊たくさんのふしぎ2018年11月号)

くりばやし (月刊たくさんのふしぎ2018年11月号)