こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

砂漠の花園(第224号)

ここ最近の「ダーウィンが来た!」は、なぜか鳥ばかり連続している。

第568回「住まいは東京!幻のタカ」(※リンク切れ)

に始まり、

第569回「進化するだまし合い!鳥の托(たく)卵最前線」(※リンク切れ)

第570回「ヒナを守れ!島を作る鳥」(※リンク切れ)

と続き、来週も

第571回「踊る!浜辺のダンサー鳥」(※リンク切れ)

だ。

先週の「ヒナを守れ!島を作る鳥」ツノオオバンは、日本では見ない鳥だけに興味深かった。同じくらい印象的だったのが、アタカマ砂漠に突如として現れるお花畑。そういえば『砂漠の花園』という「ふしぎ」があったなあと思い出した。

『砂漠の花園』の舞台は、アタカマ砂漠ではなく、ペルーにあるローマス・デ・ラチャイ。ペルーではこの花畑を「ローマス」と呼んでいる。ローマスはスペイン語で「霧」。ローマス・デ・ラチャイは「霧の丘」という意味になる。

当地では、冬を中心とした5月から11月ごろまで、ガルーアと呼ばれる海霧が発生しやすくなる。季節風が、付近をながれる寒流フンボルト海流によって冷やされるせいだ。乾燥する砂漠で芽を出すことができるのは、この濃い霧のおかげだ。

作者の野村哲也氏がこの花園を知ったのは、とあるレストランだった。「ナスカの地上絵」を撮影するため訪れていた街のレストランで、一人の日本人男性に声をかけられる。阪根博と名乗るその人は、千年くらい前のペルーの歴史を研究していて、27年もペルーに住んでいるという。阪根さんの話を聞くうちにローマスのことを知り、どうしても自分の目で確かめてみたくなる。そこでなんと、出会ったばかりの阪根さんに無理矢理頼み込み、1週間後に連れていってもらう算段をつけるのだ。

その後何度もペルーに足を運び、阪根氏と親交を深め、ローマスを幾度も訪れることになろうとは、思いもかけなかったことだろう。

写真家・野村哲也が贈る“地球の息吹” 奇跡の花園

奇跡の花園」と題された2009年10月4日のエントリーには、見事に広がる花園とともに“阪根ひろちゃん”とのツーショットが写されている。 

「作者のことば」では「10歳の旅」と題し、野村哲也氏が初めて一人旅に出た話が書かれている。野村氏が望んだことではない。「10歳で旅に出る」というのが、家訓だったのだ。

「てつや、自分で時刻表を調べて、一人で泊まって、見たいものを感じておいで」

誕生日を迎えたある日のこと、野村氏は父親からそう言われ、1万5千円を渡される。始めは拒否したものの「家の決まりだから」と押し切られ、しぶしぶ家を出る。行き先は飛騨古川。そこのユースホステルで運命的ともいえる出会いをする。夕食の時間に出会ったのは世界中を旅する27歳の男。面白おかしく語られる体験談に、10歳の彼は「なんて世界って広いんだろう」と衝撃を受けることになる。

世界125ヵ国を踏破しイースター島に移住もした旅する写真家・野村哲也さん(※リンク切れ)

では、その10歳の時に加え、20歳で星野道夫の作品と出会った話が語られている。星野氏本人へ突撃する様は、まさに「意志あるところに道は通ず」を地でいくもの、どこかで聞いたような話*1であるところが面白い。

 

家も、泊まりではないものの、10歳になった息子を一人で遠出に送り出している。親がイベントを探しお膳立てして連れてゆく、という年ではなくなったからだ。行きたいところがあるなら、自分で調べて一人で行ってこい。子供はパソコンでさくさく検索し計画を立てた。リュックサックに双眼鏡とカメラ、水筒、Suica、そして軍資金1,000円を入れた財布を詰め込んで、意気揚々と出かけていった。バードウォッチングに。

出先で地震などに遭ったら?カツアゲにあってお金を巻き上げられたら(私は経験あり)?とか、心配は尽きないものの、取りあえずお守り代わりに私の携帯を渡し(これも無くされたらどうしようとか)、着いた時と帰る時に連絡するよう言い含め、送り出した。行ってこいとはいうけれど、腹をくくるのは難しいものだ。

親の心配などどこ吹く風、子供はご機嫌で帰ってきた。自分の力で行って帰ってこられた、というのは大きな自信になったのだろう。野村氏のような大きな出会いはないけれど、現地でバーダーの方たちと会い、一緒に野鳥観察を楽しんだりもしたらしい。

その後も今日はここに行ってくる、と少し遠くに出かけてみたりしている。まるで「子ギツネが生まれ育ったホームレンジの外へ探検に出かけては帰る」様を見るようだ。宿泊ありの一人旅をする日も近いのかもしれない。