こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

御殿場線ものがたり (たくさんのふしぎ傑作集) (第12号)

 東京駅から新幹線の「ひかり号」に乗って、25分くらいたったら、車窓のながめにちゅういしてください。相模平野をすぎて、みじかいトンネルがつぎつぎにつづく丘のなかを走っているはずです。

 と、とつぜん、あたりがあかるくひらけ、左に相模湾、右前方に箱根の山々が見えてきます。

 そのとき、いそいで窓の下を見ると、新幹線をくぐりぬける線路が見えます。ごくふつうの線路ですが、これが、日本の鉄道の歴史をかたるうえで、わすれてはならない「御殿場線」の今日のすがたなのです。

御殿場線ものがたり』本文は、こんな描写から始まる。

右開き・縦書きの体裁で、“オールドスタイル”な明朝体でつづられた文。描かれる「ひかり号」はなんと0系だ。そして「新幹線をくぐりぬける線路」、御殿場線を走るは湘南色115系。なんとも懐かしい風景だ。それもそのはず、この号が出たのは1986年3月なのだ。

続くページでは、

御殿場線に乗ってみましょう。

とお誘いの文句が。ここから怒涛のように“御殿場線ツアーガイド”が始まっていく。ツアーガイドといっても、そこは宮脇俊三御殿場線沿線の観光スポットを紹介するものではない。

ごてんばせんネット|JR御殿場線沿線の観光情報|御殿場線利活用推進協議会

電車が新幹線の下をくぐったら、運転席のちかくに行ってみませんか。

これは別に、運転席の後ろにかぶりついて前面展望を楽しめということではない。

そして、前の方をながめましょう。線路のよこに、もう一本の電車が走れそうなあき地が、つづいています。けれども、線路は一本しかしかれていません。

線路周辺や駅のようすに目を向けてみよ、ということだ。山北駅のようすでは、

 また、D52形蒸気機関車がほぞんされ、さみしそうに日なたぼっこをしています。

なんて描写も混じっているが、さみしそうに日なたぼっこ、もとい静態保存されていたD52形は、近年“奇跡の復活”を遂げ、動態運行が始まっている。このご時世で、残念ながら整備運行は中断されているようだが、落ち着けばまた勇姿を見られるのかもしれない。

D52奇跡の復活 | 山北町

 

ご存知の方も多いと思うが、御殿場線はかつての「東海道本線」だった。東海道本線は、今も昔も交通・物流の大動脈だ。その大仕事を半世紀近く担い続けたのが御殿場線なのだ。のち、お役御免となってしまった理由は、10〜11ページを見れば一目瞭然。御殿場線といまの東海道本線との「高さと勾配と距離の比較(国府津ー沼津)」の図だ。山越ルートをとる御殿場線は、どうしても急勾配が急所となる。早晩大動脈に詰まりが発生し、ボトルネック化するのは必然だった。

 急勾配があるために、「東海道本線の問題のかしょ」といわれながらも、後おしの機関車をつけたり、貨物列車を二つにわけたりの、くふうとくろうをかさねながら、がんばってきました。

その工夫と苦労を重ねてきた様子は、本文に余すところなく書かれている。最高峰の駅、御殿場に止まらない特急や急行は、所要時間節約のため、走行しながら補機を切り離すという荒技まで繰り出していたのだ。

 

岩波信号所の先、急勾配急カーブの難所の際にある西安寺が、機関士たちに「空転寺」とあだ名されていた話や、線守稲荷建立にまつわる怪談話なども盛り込まれていて、“御殿場線ツアーガイド”のとおり、本書片手に実際乗って確認してみたくなる。  

主役はあくまで御殿場線なので、丹那トンネルの難工事については軽く触れられているのみ。丹那トンネル開業後、お役御免になった後の姿は寂しい限りだ。時刻表が変わり、国府津で駅弁が売れなくなり、太平洋戦争時には不要不急線として単線化の憂き目にもあっている。その辺りの寂寥感もしっかり描かれている。

かつて日本の大動脈を担っていた御殿場線。いまの姿からは、たくさんの列車がひっきりなしに行き交い、多くの乗客や貨物を運び、鉄道員たちが忙しく立ち働いていたところを想像することはできない。往時の活躍などなかったかのように、のんびり走る御殿場線。読み終わった後、とても愛おしく感じられてしまった。