光、つむぐ、虫。
発光生物の話だろうか?
だがこれは、虫の話ではない。
虫は登場するけれど、光るのは虫ではない。
話のまくらは、小学生の頃の体験。
虫とりにつかれて、ふと空を見上げると、緑の葉のすきまから、まっ青な夏の空がのぞいていました。お日さまの光は、あざやかな緑の葉をとおりぬけ、雑木林の中を輝く緑でそめぬいているようでした。
雑木林で輝く光の写真が添えられている。表紙と同じものだ。雑木林を緑で染めぬく光こそ、この本の原点となるものだ。
ある日のこと、コナラの枝先に小さな緑色のものを見つけました。木枯らしにカサカサとゆれています。なにかの繭のようです。
いったいなんの繭だろう。
枝をたぐりよせて繭を手にとってみると、上のほうにはぽっかり穴があいていて、中にはなにもいませんでしたが、その色はいままでに見たことのないようなきれいな緑色でした。
のち、大人になった著者は、安曇野を旅していたとき、一軒の染物屋の前を通りかかる。店先で見つけたのは、子供の頃見たあの緑色。緑の繭のとなりには「つややかで若葉のように美しい色の糸」が並べられていた。
お店の人によると、安曇野市の穂高町有明ではヤママユガの幼虫“ヤマコ”を育て、糸をとっているという。そこで著者は、ヤマコの飼育を見に、有明を訪ねることになる。
飼育のさまは驚きの連続だ。
カイコを利用した養蚕は、通常屋内でおこなわれる(『富岡製糸場 生糸がつくった近代の日本(第375号)』)のに対し、ヤマコは屋外なのだ。
「繭が緑色になるためには太陽の光が必要なんだよ。カイコのように家の中で飼うと、光が足たりなくて黄色になったり黄緑になったり、きれいな色にならないんだ」
美しい色は、お日さまの光あってこそ。
だから飼育は外で、飼育林に卵をつけるかたちでおこなわれる。エサとなるのはクヌギやコナラ。クワで育つカイコとは食べるものも違うのだ。収穫しやすいよう木を低く切りそろえ、鳥に食われないようネットを張る。準備だけで大変な作業だ。
苦労はそれだけではない。飼育林内には、ヤマコのほかにも生きものがいる。ヤマコをエサとする、カメムシなどの昆虫もいるのだ。殺虫剤を使えばヤマコも死んでしまう。外敵だけではない。脱皮に失敗したり、病気にかかったりもする。無事繭を作るまで育つのは、10匹中6匹ほどのものなのだ。
収穫した繭は、採卵のため一部は取り分けられる。羽化させてペアにし、竹籠に入れて卵を産ませるのだ。24ページには羽化のようすと雌雄の成虫が載るが、緑の繭から抜け出る鮮やかな茶色が美しい。
糸を引くのは別の家。
飼育に負けず劣らず細やかな作業だ。7、8個の繭の糸を合わせ1本の糸に仕上げていく。繭の内側ほど白くなるので、全体を同じ色にするため、少しずつずらしながら合わせていくのだという。
30〜31ページは見開きいっぱい、でき上がった糸の束。
「どう、生まれたての糸はきれいでしょう」
えも言われぬ美しさだ。
すべてのページは、この絵を見せるためにある。そう言っても大げさでないくらいだ。何度も読み返し、このページにたどりつくたび、身震いするような感情がわき起こる。糸が織りなす淡い緑の陰影は、雑木林を緑で染めぬく光そのものだ。
ヤママユガは日の光を浴び、光の力を糸に託す。光をつむぐ虫なのだ。
表紙、そして題名からは想像もつかないような世界が広がっていた。生きものの本だと思って読み始めたら、じつは詩の本だった、みたいな驚きだ。読み終えてはじめて、写真の意味と、タイトルに込められた意味がわかる。わかりやすい派手さはないけれど、しみじみ素晴らしい一冊だった。