こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

光をつむぐ虫(第188号)

光、つむぐ、虫。

発光生物の話だろうか?

だがこれは、虫の話ではない。

虫は登場するけれど、光るのは虫ではない。 

 

話のまくらは、小学生の頃の体験。

 虫とりにつかれて、ふと空を見上げると、緑の葉のすきまから、まっ青な夏の空がのぞいていました。お日さまの光は、あざやかな緑の葉をとおりぬけ、雑木林の中を輝く緑でそめぬいているようでした。

雑木林で輝く光の写真が添えられている。表紙と同じものだ。雑木林を緑で染めぬく光こそ、この本の原点となるものだ。

 ある日のこと、コナラの枝先に小さな緑色のものを見つけました。木枯らしにカサカサとゆれています。なにかの繭のようです。

 いったいなんの繭だろう。

 枝をたぐりよせて繭を手にとってみると、上のほうにはぽっかり穴があいていて、中にはなにもいませんでしたが、その色はいままでに見たことのないようなきれいな緑色でした。

のち、大人になった著者は、安曇野を旅していたとき、一軒の染物屋の前を通りかかる。店先で見つけたのは、子供の頃見たあの緑色。緑の繭のとなりには「つややかで若葉のように美しい色の糸」が並べられていた。

この緑こそ、ヤママユガの繭。糸は天蚕糸と呼ばれる。

お店の人によると、安曇野市穂高町有明ではヤママユガの幼虫“ヤマコ”を育て、糸をとっているという。そこで著者は、ヤマコの飼育を見に、有明を訪ねることになる。

飼育のさまは驚きの連続だ。

カイコを利用した養蚕は、通常屋内でおこなわれる(『富岡製糸場 生糸がつくった近代の日本(第375号)』)のに対し、ヤマコは屋外なのだ。

「繭が緑色になるためには太陽の光が必要なんだよ。カイコのように家の中で飼うと、光が足たりなくて黄色になったり黄緑になったり、きれいな色にならないんだ」

美しい色は、お日さまの光あってこそ。

だから飼育は外で、飼育林に卵をつけるかたちでおこなわれる。エサとなるのはクヌギやコナラ。クワで育つカイコとは食べるものも違うのだ。収穫しやすいよう木を低く切りそろえ、鳥に食われないようネットを張る。準備だけで大変な作業だ。

苦労はそれだけではない。飼育林内には、ヤマコのほかにも生きものがいる。なかにはヤマコをエサとする、カメムシなどの昆虫もいるのだ。殺虫剤を使えばヤマコも死んでしまう。外敵だけではない。脱皮に失敗したり、病気にかかったりもする。無事繭を作るまで育つのは、10匹中6匹ほどのものなのだ。

収穫した繭は、採卵のため一部は取り分けられる。羽化させてペアにし、竹籠に入れて卵を産ませるのだ。24ページには羽化のようすと雌雄の成虫が載るが、緑の繭から抜け出る鮮やかな茶色が美しい。

 

糸を引くのは別の家。

飼育に負けず劣らず細やかな作業だ。7、8個の繭の糸を合わせ1本の糸に仕上げていく。繭の内側ほど白くなるので、全体を同じ色にするため、少しずつずらしながら合わせていくのだという。

30〜31ページは見開きいっぱい、でき上がった糸の束。

「どう、生まれたての糸はきれいでしょう」

えも言われぬ美しさだ。

すべてのページは、この絵を見せるためにある。そう言っても大げさでないくらいだ。何度も読み返し、このページにたどりつくたび、身震いするような感情がわき起こる。糸が織りなす淡い緑の陰影は、雑木林を緑で染めぬく光そのものだ。

ヤママユガは日の光を浴び、光の力を糸に託す。光をつむぐ虫なのだ。

表紙、そして題名からは想像もつかないような世界が広がっていた。生きものの本だと思って読み始めたら、じつは詩の本だった、みたいな驚きだ。読み終えてはじめて、写真の意味と、タイトルに込められた意味がわかる。わかりやすい派手さはないけれど、しみじみ素晴らしい一冊だった。

安曇野穂高やまこの学校