こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

わたしのスカート(第236号)

 わたしの村、フアイソン村です。

それどこ?

ラオス北部、フアパン県 サムヌア郡にある村(Houayxon Village)だ。

わたしこと、マイはモン族の少女。車も上がって来られない、山に囲まれた地域に住んでいる。

ラオスには多数を占めるラオ族のほか、50くらいの民族がそれぞれの地域に分かれ住んでいる。モン族もその一つだ。国境を接する、中国の雲貴高原、ベトナムラオス、タイの山岳地帯にも、同じルーツをもつ民族グループがある。

マイは小学2年生。村にあるのは1、2年生だけの分校だ。3年生になると、山を降ってふもとの学校に通わなくてはならない。1時間以上かかる道のりだ。

学校に制服はない。「シン」と呼ばれるラオの民族衣装を着けていく。筒型の巻きスカートのようなものだ。

しかし、マイが欲しいのは、モンの民族衣装のスカート。いつもお姉ちゃんのお下がりばかりなので、自分の新しいスカートが欲しいのだ。

スカート作りの始まりは、麻の種を播くところから。なんとも気の長い話である。

麻の刈り取り→麻玉づくり→麻束へ加工→糸より→糸車で糸束を作る→糸束を煮て漂白→糸巻きに巻き取る→麻糸の完成

糸ができあがるまでも、多くの工程を経なければならない。

糸の次は布。一着のスカートに必要な長布は3枚。作り慣れたマイのお母さんでも、毎日織り続けて10日ほどかかる。スカートは3枚の布地を縫い合わせて作られる。いちばん上はウエスト部分「白い布」。真ん中は「ろうけつ染めの布」。すその部分は全面に「刺繍を施した布」。

 

布ができたら刺繍だ。「刺繍を施した布」。マイが自分でするのだ。モンの女の子はお母さんから刺繍を教わる。

「わたしもあなたぐらいの歳に、おかあさんに教わったのよ。みんな、最初は、おかあさんに教わってできるようになるものなの。でもじきに、自分の心に浮かんだままに刺せるようになるわ。野の花、山の木……心で考えて刺しゅうするの。好きなものをね。」

 

作業は続く。「ろうけつ染めの布」。ミツロウを作って模様を描く工程だ。これもミツバチの巣を取ってくるところから始まる。ハチの巣取りだけはお父さん(男性)の仕事。蜜はハチミツに、巣の方は熱湯に溶かし冷やしてミツロウにする。熱で溶かしたミツロウをペンにつけ、模様を描き出してゆく。

 この模様を描くのはむずかしくて、おかあさんお嫁にきてから、おばあちゃんに教わったのだそうです。おかあさんは、おばあちゃんに、おばあちゃんは、そのまたおかあさんに教わって、むかしから伝わってきているのです。

まだまだ、染色作業が残っている。藍で染めるのだ。これも栽培するところから。藍の葉から染料を作る工程も、布を染める工程も、時間を要する作業が目白押しだ。染めが済んだら、お湯に入れる。するとミツロウが溶けて、そこだけが白く模様として浮かび上がるのだ。藍で染めた布の上に、さらにリボン状の赤い布を縫い付けていく。「ろうけつ染めの布」部分の完成だ。

刺繍部分が完成し、いよいよ最終工程、スカートとして縫い合わせる作業だ。縫い合わせた後は細かくひだを寄せ、しつけ糸を使ってプリーツを作っていく。プリーツが馴染むまで着るのはお預けだ。

「しつけ糸を抜くのは、お正月がきてからよ。もう少しのしんぼうよ」

 おばあちゃんは、目を細めて言いました。

「新しいスカートっていうのは、うれしいもんさ。これからマイは、お正月、お嫁入り、きっと何回も新しいスカートをおろすときがくるよ。おかあさんにいろいろなことを教わって、ぜんぶ自分で作れるようになるんだよ」

おばあちゃんは嫁入りの時に着けたスカートを、しつけ糸をかけたままずっと大切に取ってあるという。おばあちゃんのお母さんが作ってくれたものだ。次に着るのはあの世に行く時だと言う。多くの作業を経て作られるスカート。お母さんの、その労苦を知るからこそ、おばあちゃんにとって何よりの宝物なのだ。

お正月、マイの真新しいスカートがデビューした。まさに「晴れ着」そのものだ。くるくる回ってスカート見せびらかすマイの、なんと嬉しそうなこと。長い時間をかけ手ずから作り上げるからこそ、節目のときにおろすにふさわしいものなのだ。

母から娘へ、そして孫へ……スカートは、代々の女たちが受け継いできた「心」をつなぐものでもあるのだ。

しかし「作者のことば」によると、今や村まで車が通るようになり、女性たちは普段スカートを着けなくなってしまったという。スカートは観光の「商品」として、売られるようになってしまったのだ。代わりに着けているのはプリント地の腰巻布。スカート作りは伝わっているようだが、村の生活は変わり始めているという。この号は2004年発行だから、現在はもっと事情が変わっていることだろう。他でもない自分たちのために、スカート作りを続けているだろうか。

https://kyoto-seas.org/pdf/40/1/400102.pdf