こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

できたぜ! かくれ家(第196号)

素晴らしい表紙、素晴らしいタイトルではないか。

センターの子の面構えときたら、ザ・男の子という感じ。脇をかためる子たちの表情もいい。奥の少年の帽子が巨人でも阪神でもなく、オリックスの野球帽というのも渋い。

この4人は同じ小学校に通う4年生。名前はケント、タケちゃん、アッキー、タスク。

 

本号の制作メンバーは以下の方たちだ。

文 プチ 写真 杉田 徹 指導 後藤 一磨

プチ?

中表紙には「プチ」がさっそくご登場。

ぼくはプチ。

うちの裏山で

ふしぎなことが

はじまった。

ふしぎなことって

いうのは……

プチは犬。本号の語りはなんと犬が担当しているのだ。

中表紙だけでなく、写真で、イラストで、ところどころにプチの姿が散りばめられているのが楽しい。いいアクセントになっている。

 

かくれ家といっても、段ボールの秘密基地みたいな子供らしいものではなく、大人が手伝ってつくる本格的なものだ。そのかわり、材料は野っ原の草木限定、道具もナイフ、鉈、鋸、鎌といった昔からの道具だけを使う。

初っ端、設計図で一悶着。

四名中、三名が「おれ学校においてきちゃった」という……。ひとり、ちゃんと持ってきたケントの設計図ときたら、二部屋もある非現実的なもの。ボツにされたケントはむくれ、ほかの三人もあーだこーだと“勝手”な希望を述べる。子供らしくふくらませた理想が、大人の現実意見でしゅ〜っとしぼんでいく。この辺のところが、小学生らしくてなんともリアルだ。

そうはいっても作業が始まれば、みな夢中で取り組んでいる。材料を運び、木を切り、柱を立てる。横木をわたして紐で縛る。ジャングルジムみたいな骨組みができ上がっただけで、じゅうぶん楽しそうだ。

材料は野っ原の草木限定……とはいえ、作った蔦の皮製の紐が足りなくなれば麻紐を使うし、床は過ごしやすいようベニヤ板。出入り口には市販のすだれが下がっている。ルールに雁字搦めになるのではなく、いい加減さが混じっているところも良い。

屋根ができ上がると、だいぶ家らしくなった。自分たちの手で葺いた屋根の上で、思い思いにアイスを頬張る子供たち。軒を切りそろえ、草で壁を編み、ついに「かくれ家」が完成した。

 

もちろん完成で終わりではない。完成は始まりなのだ。

待ちに待った夏休み、かくれ家に泊まろうという計画が持ち上がる。大人たちの方は、子供たちにさらに楽しんでもらうため、大掛かりなサプライズを用意する。

かくれ家の向こう側に広場を切り開こう。木の上に見張り台をつくろう。見張り台から大きな木へロープをわたして、ロープウェイをつくって思いっきり遊ぼう」と計画した。

見張り台なんてつくって、だれを見張るっていうのさ

というプチのコメントが振るってる。

トイレも作る。見えないよう壁を作り、穴に落ちないよう手すりがついた親切設計だ。ブツを埋めるは海の砂。屋内トイレに慣れきった子供たち、ちゃんと野糞できたかなあ?

クライマックスは野外での夕飯づくり。定番のカレーだ。火起こしはやっぱり難しいようで、大人の出番になる。キャンプでおなじみの飯盒ではなく、簡易型のかまどを使い羽釜で米を炊く。

もしかしたら、いちばん楽しんでいたのは大人たちだったのかもしれない。読んでいてふと思った。大人になって、屋外でかくれ家とか作りたくても作らないだろうし、わざわざかまどを出してご飯を炊く機会もない。ロープウェイとか作って、大人だけで遊んでも絵になるものではない。そこに子供がいるからこそ、格好がつくものになる。

かくれ家づくりは子供の領分だけど、子供だけじゃ大したものは作れない。でも大人になれば本気出して本格的なものを作ることができる。だから、手伝いという名目で遊んでいたのは大人たちの方かもしれない。もちろん子供たちも存分に楽しんだだろうけど。

それを考えると、子供たちの言葉、

「だれも入れない。おれたちだけのかくれ家だからな」

「手つだったおとなは、入場料をはらったら、特別に来てもいいことにしてやろうか」

なんてのは、案外不遜ではないのかもしれない。俺たちを出しに遊んでんだからな、と。

 

ケント、タケちゃん、アッキー、タスク。

今ごろみんな何してるだろう。この頃の自分と同じくらいの子供がいてもおかしくない。無事で、元気でやってるかな?