ときどき「たくさんのふしぎ」で、不思議な感じの作品に出会うことがある。
『小さな卵の大きな宇宙(第166号)』然り、『いろ いろ いろ いろ(第203号)』然り。
この『ぼくの博物館』もその一つだ。
夜明け前*1「ぼくの博物館」をふらりと訪れたのは、一匹の猫。
ようこそ、ぼくの博物館へ。
この部屋には、いろんな国を旅して見つけた、たいせつな物がいっぱいなんだ。
部屋の主のこのぼくが、これから博物館を案内してあげよう。
うす暗闇のなか、色彩も形も闇に沈む物たち。見ている方も猫といっしょに博物館を案内されてるような感覚に陥ってくる。
いきなりあらわれるは、光と色の世界。まぶしいばかりだ。今は静かに眠るものたちが、生きてそこにいたシーンの数々。時間も空間も飛び越え、目まぐるしく再現される。
さまざまな場所で、さまざまな人間が、さまざまな暮らしをしている。
人間はいろんな物を作るけれど、ずっと手もとに残る物もあれば、
こわれたりして消えてゆく物もある。
世界中にいろいろな人が住み、
それぞれに発明や歴史、伝説や物語がある。
時間も空間も現実に飛び越えて、博物館にやってきた物たち。一つ一つに来歴がある。この絵本は、その時間と空間に思いを馳せる仕掛けになっている。
夜明け前は絶妙なときだ。夜は夢の場所、昼は現実の時間。その境目が揺らぐのが夜明け前という時だ。夜でも昼でもない時間。この世の場所ではないどこかへ連れていってくれる。
紹介される物たちは、すべて作者が現実に所有しているものだ。その「来歴」については、表裏両見返し部分にびっしり書かれている。よく読むとおかしなことがさりげなく書かれているのが面白い。
木製のウサギ。イギリスのテムズ運河をレンタル・クルーザーで旅したときオックスフォード近くの村で買った。このとき長男が船から河へ落ちるアクシデント。着衣のまま飛び込んでなんとか引き上げた
ガラス器の台座。ウィーンの古道具屋で買ったガラスの高足の蓋モノだったが、当時飼っていたノウサギのノエちゃんがパニックを起こして跳ねまわったとき壊されてしまった。その残った台座の部分。ノエちゃんは「こどものとも年中向き」88年12月号にも登場
表紙は見開き絵。物がいた場所も時間もごちゃ混ぜになるかの如く、きらめく銀河のなかをただよっている。しかし『光の正体(第427号)』と同じく、裏表紙下部の、定価やバーコードを載せた白抜き部分がノイズになってしまっているのが残念だ。両見返しはびっしり文字で埋め尽くされているので、ここに入れるしかないのだけど。
ところで「たくさんのふしぎ」のタイトルには、「ぼく(僕)」「わたし(私)」がつくものが結構ある。「ぼくら」「わたしたち」なども含め、どれくらいあるか調べてみた。
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想像以上に多かった。やはり“自分”を語り手や主人公に据えると、お話に入りやすくなるからだろうか。タイトルにぼくわたしが付かなくても、一人称目線で語られる「ふしぎ」も多い。