こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

一本の木に葉っぱは何枚?(第352号)

子供と一緒に地域のガン類の数を数えるボランティアに参加している。

担当地域を車でまわり、区分メッシュ毎にどれくらい飛来しているか調べるものだ。右手にカウンター、左手には双眼鏡。カチカチカチカチカチ……ひたすら数える。ひと昔前の紅白で、観客審査のカウントしてたアレと同じだ(「日本野鳥の会」のイメージが強いが「麻布大野鳥研究部」の方が担当回数は多い)。自分が同じことをするとは思ってもみなかった。

基本は車のなかから。近づきすぎると飛んでしまうので、適度な距離をとる必要がある。基本群れでいるので、うじゃっとかたまってると数えにくいことこの上ない。広大な田んぼ一面にひしめき合うようにいるのを発見した日には、絶望感が込み上げてくる。これホント数えられんの?って。

大好きだし、いつまで見てても飽きないけど、カウントする日の彼らはただの点、ただの数にしか過ぎない。広大な座標面を不随意に動く点の数々。あそこのポイント見たっけ?あっちから数えたでしょとか。あー飛んじゃった……あそこに降り立ったはいいけど、あれはもうカウント済みの群れだよね?とか。それに比べりゃ、一定の区域内の動かない観客を数えるなんて赤子の手を捻るようなもんだ。

 

『一本の木に葉っぱは何枚?』も、タイトル通り、木についた葉っぱを数えるというお話だ。

木はミズキ。年のころはだいたい8歳。

数えるのは、8歳と同じくらいの年の子供たち。そして大人たち。

数え終わった葉っぱには印をつけ、一枚一枚愚直に数えていく。

ところが、はっても、はっても、まだまだ葉っぱはたくさんあります。

こんなにたくさんの葉っぱ、本当にかぞえられるのか、ちょっと心配にもなります。

上の方の葉っぱは、足場を組んで数えていく。

しるしのついた葉っぱがふえて、記録された数もどんどん多くなっていきます。

そして、みんなはだんだんあきてきました。

数えるって単純作業なんだよね。飽きてくるのも無理はない。

ガン類を数える際、あまりに多いときは、10羽くらいのかたまりで当たりをつけて数えることもある。

だがこれは、一枚一枚数えることに意味があるのだ。

葉っぱの数を知るのが目的ではないからだ。

数え切れないくらいの葉っぱを、一枚一枚数えることに意味がある。下から漫然と眺めるだけでは見えなかったことが、葉っぱの近くに寄り一枚一枚を見ることで「見えてくる」ものがあるのだ。

「作者のことば」で姉崎エミリーはこんなことを書いている。

 好奇心はいろいろなものに、いろいろなことに向けられます。ネコのヒゲの本数、葉っぱのスジの数、茶わん1杯のごはんは何粒か、トウモロコシにはつぶがいくつかなどなど。いろいろなものの数をかぞえてみましょう。そこからわかること、見えてくることがたくさんあります。

数を知るのが目的ではないと書いたが、数を知るのはもちろん大事な目的でもある。

あれ、意外と少なかったな。見た目よりずっと多かったね。とか。

 

これは、一本の木を主人公とする絵本でもある。

移り変わる季節のなか、さまざまに変化を遂げるミズキ。

早春、葉っぱを落とし切って佇む様子。春には若葉をつけ、夏前にはびっしりつけた白い花で着飾っている。夏、旺盛に葉っぱを繁らせる最盛期に、子供たち大人たちに囲まれにぎやかに夏休みを過ごすのだ。秋には印をつけられた葉っぱ*1を落とし始め、小さな黒い実をみのらせる。そして冬、葉っぱを落とした枝に雪の重みがずしりとのしかかる。

なんらかの原因で枯れたりしていなければ、今もなお当地で雪に耐え、立ち続けていることだろう。10年以上が経ち、ひとまわり大きくなった姿で。つける葉っぱの数も格段に増えているに違いない。

*1:印に使ったシールなどは土に還る素材を使っている。