こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

まぼろしの大陸スンダランド オランウータンをそだてた森(第322号)

読み応えのある絵本だ。

まず、字が多い。

写真もふんだんに使われているが、文章量もかなりのものだ。一読しただけでは、なかなか内容を掴むことができなかった。

話の流れがわかりにくいのだ。

最近記事を書いた「ふしぎ」の中でも、たとえば『カーニバルがやってきた!(第279号)』は、小見出しがついているのでトピックがわかりやすい。小見出しがついていなくても『地球縦断の旅 北極から南極へ(第446号)』のように時系列で描かれるものなら、容易に流れをつかむことができる。

しかし。

この『まぼろしの大陸スンダランド』は、果たしてボルネオの自然の話なのか、はたまたオランウータンの話なのか、そしてスンダランドはどうつながるのか。さらっと読んだだけでは理解できなかった。

わかりにくい要因はもう一つ。(私にとって)馴染みのない地域や生きものが多く登場すること。少しでも知識があれば、ああこういうことねと想像できるのだが。

わかりにくい、理解できない、想像が難しい……

こういう時にできることは何か。

一回読んで理解できないなら、何回も読めばいいのだ。何回も。

たくさんのふしぎ」は小学生向けだ。小学生にわからない言葉や言い回しで書かれるはずがない。文章を正確に読んで、頭の中できちんと絵を描けば、必ず理解することができるはずだ。何回も繰り返し読めば、どういう流れで展開されているのか、必ず掴むことができるはず。

 

まずわかったのが「ボルネオの森の特異性」。

アフリカや南アメリカマダガスカルなどで見られる普通の熱帯雨林とは違うこと。

そして話のキーワードは「世界一」。特異なボルネオの森には、さまざまな「世界一」が存在しているのだ。

たとえば世界最大の花、ラフレシア

たとえば世界最大のウツボカズラネペンテス・ラジャ

「おちてきた実にあたったら死ぬよ」と言われる世界最大の果実が生れば、鉄の釘が打ちこめないほど硬い木も自生する。熱帯雨林のご多分にもれず、昆虫の数も大きさも最大級。モリオオアリなど、日本のクロオオアリの3倍はある。

特異な森では、生活も特異になる。

ボルネオの生きものは飛ぶ。カエルが飛び、トカゲも飛び、ヘビも滑空する。哺乳類だって飛ぶ

 

特異で、世界一なボルネオの森。

その中でも、作者がいちばんに紹介したいものこそオランウータンだ。

オランウータンの世界一とは?

彼らは「世界一体の大きい樹上生活者」なのだ。

 私はサルを見るため木にのぼるので、木の上で体重が重いのはどんなにたいへんなことか、よくわかります。ゆれる木の上は不安定で、枝は折れやすく、おちたら大けがをします。

 なぜオランウータンはそんなに重い体で樹上生活ができるのか、その秘密を知りたいと思ってやってきたのが、ボルネオ北部のダナンバレー自然保護区でした。

・樹上生活に特化した体の仕組み。

・アイアイ(『なぞのサル アイアイ (たくさんのふしぎ傑作集)(第226号)』)との意外な共通点。

・大きな体を養うエサの秘密。

このあたりの話は、サル研究をものする著者ならではだ。興味深い話が盛りだくさん。ぜひ本書に当たって読んでみてほしい。ここからどう「スンダランド」「ボルネオの森の特異性」そして「世界一」というキーワードにつながっていくのかも。冒頭2〜3ページの地図と、終盤34〜35ページの地図を見比べながら読み返せば、長大な時間の流れに想いを馳せることができる。

 

ちなみに多摩動物公園では、このボルネオオランウータンを見ることができる。「スカイウォーク」という、まさに樹上生活を生かした展示も行われている。多摩には何度も訪れているが、スカイウォークを見たのは子供の幼稚園の遠足の時一度きりだ。スカイウォークをするかどうかはオランウータンの気分次第だからだ。この時もけっこう待って、ようやく一頭がおざなりに移動したくらいだった。

オランウータンのスカイウォーク再開と時間変更について | 東京ズーネット

オランウータン舎スカイウォーク終点の飛び地 || じっくり見学!動物園

多摩動物公園[公式] on Twitter: "ボルネオオランウータンのホッピー(2020年10月30日生まれ)、お母さんのチャッピーに抱かれて初めてスカイウォークを渡りました。初めて見る景色は、ホッピーの目にどんなふうに映ったのでしょうか?(普)
#おうちでZOO… "

本当に、この本を読んだ今だったら多摩のオランウータンをもっと興味持って観察できたのになあ。「ふしぎ」を読むと、いかに物事を漫然と見ているか痛感させられる。

わかりにくい、理解できない、想像が難しい

と書いたが、必ずしも「わかりやすい」ことが良いわけではない。むしろほどほどに「わかりにくい」方が、かえって頭に残る。理解しよう、想像しよう、そのためには正確に読もうという意識がはたらくので、頭をフルに使うことになる。頭を使うと記憶にも残る。わかりやすいものは、わかったつもりにもなりやすいのだ。だからスッと読めてしまった「ふしぎ」の方が、意外と本当には読めていないのかもしれない。