こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

木のぼりゴリラ(第355号)

類人猿が苦手だ。

あまりにも人に似すぎているからだ。『ことばをおぼえたチンパンジー (たくさんのふしぎ傑作集)(第9号)』でも書いたとおりだ。

動物園でも類人猿コーナーはそそくさと通り過ぎてしまう。じっと見てはいけないような気持ちになってしまうのだ。

だからゴリラもまともに見たことがなかった。「西ローランドゴリラ」っていうのが多いな、くらいしか意識したことがない。

それもそのはず。

世界の動物園にいるゴリラは、ほとんどすべてがニシゴリラなのです。

だから世界中でゴリラといってイメージされるのは、ニシゴリラ (Gorilla gorilla)もしくは亜種ニシローランドゴリラ(Gorilla gorilla gorilla)なのだ。

じゃあニシゴリラ以外にも別の種類がいるのか?

その名もヒガシゴリラ (Gorilla beringei)だ。

ゴリラはニシゴリラヒガシゴリラに分けられ、その中でも亜種があるということらしい。

ニシゴリラの亜種は「ニシローランドゴリラ」と「クロスリバーゴリラ」。

ヒガシゴリラの亜種は「マウンテンゴリラ」と「ヒガシローランドゴリラ」。

動物園では主流のニシゴリラ(ニシローランドゴリラ)だが、野生での暮らしぶりがわかっているのは、実はヒガシゴリラの方だという。だから動物園でも、ヒガシゴリラの生活にならった展示がおこなわれてきた。

 でも、それはまちがいであることがわかってきました。ニシゴリラの調査がはじまると、彼らがヒガシゴリラとはまったくちがう暮らしをおくっていることが明らかになったのです。

ヒガシゴリラに比べ、なぜニシゴリラの調査研究は進んでいなかったのか?動物園で展示されるくらい身近なゴリラなのに?

それには人間の、ニシゴリラに対する悲しい歴史が関わっている(本号25ページ参照)。

ニシゴリラのすむ場所は海に近い低地。人間に見つかりやすく、捕まりやすい場所だ。最初に“発見”されたのもニシゴリラ。アフリカの珍しい動物を世界の動物園に送るべく、たくさんのニシゴリラが捕らえられたという。その結果ニシゴリラは人間を怖れ、強い敵意をもつようになってしまった。そのため野生下での研究や保護活動も進みにくくなってしまったのだ。

一方、ヒガシゴリラはニシゴリラから50年あまり遅れて“発見”された。港から遠く離れた山地に住んでいたので、人間に見つかりにくかったのだ。発見から20年後には生息地が国立公園になり、厳重に保護されることになった。そのためヒガシゴリラはニシゴリラほど人間を怖れるようにはならなかった。だから野生での調査研究も進めることができたのだ。

ニシゴリラが動物園で展示されているそのことが、野生下での研究が進まなかったことに関わっているとは皮肉なものである。

もっとも、ニシゴリラにしてもヒガシゴリラにしても絶滅の危機に瀕していること(近絶滅種)には変わりがない。

 

本誌は、

 今から約20年前、私はニシゴリラのすむガボン熱帯雨林で調査をはじめました。

をもとに、ニシゴリラの暮らしぶりとヒガシゴリラとの違いを明らかにしたものだ。

しかし、生きもの調査のご多分に漏れず、立ちはだかるのは「発見」の壁。『なぞのサル アイアイ (たくさんのふしぎ傑作集)(第226号) 』でも、アイアイを見つけるのに苦労していたように、ニシゴリラも第一歩は探すところからだ。

なんせ『木のぼりゴリラ』というタイトルからわかるとおり、ニシゴリラは木登りの達人。その上前述したように、人間に対して大きな警戒心を持っている。

足あとは追跡しているうちに突然消えてしまい、食べあともなくなってしまいます。これはゴリラたちが木に登って枝から枝へつたい歩き、別の木からおりてしまうからなのです。運よくゴリラにであっても、ぐおっという大きな声をオスが発すると、たちまちすべてのゴリラたちが音もなく姿を消してしまいました。

調査するゴリラの群れを決め、追跡できるようになるまで2年。観察できる距離を保ってついていけるようになるまで3年!調査の足がかりができるまで、5年もの月日が流れている。

ニシゴリラが「木のぼりゴリラ」なら、ヒガシゴリラは?

ヒガシゴリラ(亜種「マウンテンゴリラ」)がすむのは標高3000メートルをこえる高山。そこは熱帯雨林といっても、高い樹木は生えずびっしり草に覆われた場所だ。地上にエサとなる草がいっぱいあるので木に登る必要がない、というかそもそも登るような木がないとも言える。

一方、ニシゴリラがすむのは低地のジャングル熱帯雨林そのものだ。『熱帯雨林をいく(第189号)』にもあったように、生きものたちの多くは「林冠」と呼ばれる、光がさしこみ葉の茂る場所で生活している。だからニシゴリラが生活する場所も木の上なのだ。

樹上生活と地上生活。すむ場所の違いこそが、生態の違いにも大きく関わっている。

ニシゴリラとヒガシゴリラの違い……もとい樹上生活と地上生活で異なることは何か?

摂っているエサの違いや取りやすさの違いに着目して読み進めてみてほしい。食物を分配するかどうか、乳離れの時期が遅いか早いか。一見関連のなさそうなところにも、すむ場所の違いが関わってくるのだ。

この違いを比べることによって、動物園のゴリラでかねがね謎だったことが氷解したという。すなわち、動物園と野生のゴリラで成長にかかる時間や出産間隔が変わらないのはなぜかということ。チンパンジーやオランウータンならふつうは動物園の方が環境良好なため、成長が早く出産間隔も短めで子供の数も多くなる傾向にある。ところがゴリラは動物園と野生とでほとんど変わらないという。

この場合「動物園のゴリラ」そして「野生のゴリラ」とは何か?に注目すると、おわかりいただけるかもしれない。科学において、ある事象を比べるのは、同じ種類・・・・のものを比べないと意味がないということを実感できるはずだ。

絵を担当した阿部知暁さんは、ゴリラ描きに特化した稀有な人だ。

https://www.fukuinkan.co.jp/search.php?author_id=7892&tan=阿部知暁

マツコも驚いた ゴリラ描き30年超の画家、念願叶える:朝日新聞デジタル

ゴリラに会いに行こう―チサトのゴリラ日和』を読むと、蛇の道は蛇いうかゴリラの道はゴリラいうか……何かにどハマりした人は、運を引き寄せてくるというエピソードが満載だ。

『ゴリラに会いに行こう』は、イギリスはハウレッツ野生動物公園での体験記を書いたものだ。

きっかけは一本のビデオテープ(そういう時代だ)。

 ゴリラ狂いの私の元に、ある時、名古屋・東山動物園の類人猿担当の飼育係から「こんなビデオがあるんだけど、見てみない?」と、一本のビデオテープが送られてきた。(『ゴリラに会いに行こう』9ページより)

そこに映っていたものこそ、ハウレッツで飼育されるゴリラたちの暮らしぶりだった。

ここ行きたい!ここのゴリラたちに会いたい!

ところが所在地がわからない。何回ビデオを見ても、カンタベリー近くとしか紹介されていない。イギリス政府観光局に問い合わせてもわからない。海外事情に詳しい動物園関係者にたずねても、誰一人名前すら知らない。それでもあきらめず情報収集を続けた結果、ようやくカンタベリーから車で15分ほど行った町にあることがわかったのだ。

場所はわかったものの、立ちはだかるのは言葉の壁。

 でも「ゴリラ運」だけは強いらしい。(同13ページより)

イギリスに取材旅行に出るという知人に便乗して、連れていってもらえることになったのだ。“動物園は基本的にきらい”という知人が、珍道中に巻き込まれぶつぶつ言う様子がおかしい。

いよいよハウレッツに到着し、そこで見たのは日本の動物園にいるのとは、まったく違う様子のゴリラたち。

 いったい何頭いるのだろう。はじめて出会ったハウレッツのゴリラたちは、動きまわり、はねまわり、何が何やらさっぱりわからない。

 どうしよう。こんなに動きまわるゴリラ、見たことがない。これでは動きが速すぎて絵が描けない。手が、目が、追いつかない。(同18ページより)

その後、何度もハウレッツを訪れる作者。極め付きの「ゴリラ運」は、新しいケージへの引っ越しに偶然立ち会えたことだ。総勢何十頭ものゴリラたちを、100エーカー(約40ha)もの土地の端から端へ移動させる。まさに大移動だ。一頭一頭麻酔をかけ車で運ぶのだ。引っ越しの様子を見ることができ、新居で麻酔からさめたばかりのゴリラたちにも会えるという特別待遇。

本書では、ゴリラたちの様子のみならず、ハウレッツで見聞きしたことが生き生きと描かれている。

歴代キーパーたちとの交流、動物園の仕事の厳しさ、ハウレッツを創設したアスピナール氏への敬慕の念……。そればかりではない。ハウレッツや姉妹園のポートリンフ野生動物公園に訪れるなかで、さまざまな人に助けられたことが書かれている。

『木のぼりゴリラ』には、阿部さん自身のことはほとんど出てこないが、彼女もきちんと「たくさんのふしぎ」でお馴染みの「意志あるところに道は通ず」を地でいくお一人なんだなあとしみじみ思った。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/psj1985/15/2/15_2_305/_pdf/-char/ja